wsfpq577’s blog

日本中世史専攻、大学非常勤講師などで生活の糧を得ていますが(求職中)、ここでの発言は諸機関とは全く無関係です

河西晃祐『大東亜共栄圏』

8~10とそれぞれ別の研究会に参加(報告2本と裏アドバイザー、月・火通常講義、水・金姫路という一週間だったが、8・9と飲み過ぎたこともあり電車読書のほうはようやく本日読了http://bookclub.kodansha.co.jp/product?isbn=9784062586344。相変わらずの火曜講義準備のために衝動買いしたシリーズもの。第一章「大東亜共栄圏構想の誕生」・第二章「大東亜共栄圏構想と対米開戦」は欧州におけるドイツの膨張に対応した松岡洋右の勢力圏構想としての「大東亜共栄圏」から、その後の戦局の展開に応じた微細な政治過程が論じられており、前の加藤著とあわせてこの分野の精緻化が進んでいることが再認識される。第三章「異文化体験の空間」はずさんな東南アジア認識をもってすすめられた日本の統治と米軍反転攻勢までの「平時」における渡海した日本の文化人が書き残したものとその環流および留学生の存在が、ある種の異文化体験として評価される。この部分は個々の人物論(井伏鱒二のものなど興味深い)としてはわかるのだが、全体としては内地国民にに「夢とロマン」を提供することで支持調達を狙ったもので、持ち上げすぎの印象がある。南方への関心は講談社シリーズなどで醸成されていたはずで(何を思ったか当方は小学生時代に復刊された冒険ダン吉や南洋小説を読みふけった記憶がある)、メディア論としてはそれとの関連抜きで論じることはできないのではないか。第四章「『アジア解放』をめぐる異文化交渉」は戦局不利の中で開催された大東亜会議とその後について、日本側の言いなりにならないしたたかなフィリピン・タイ・ビルマの主体性を描き、おわりにで戦後の東條元首相・ラウレル(フィリピン大統領、対日協力戦犯容疑で収監)・藤原岩市(インド国民軍工作を進めた陸軍軍人)の言葉からそれぞれの認識をならべ、上智大学の東南アジア研究で締めくくられる。著者の母校らしいのだがこれもきれいすぎで、研究者個々の活動もかなり微妙な問題があるだろうし、よくいわれている戦後日本の経済進出と当時の人脈問題をスルーするのもどうなのかという気がする。まあいろいろ勉強にはなりました。