wsfpq577’s blog

日本中世史専攻、大学非常勤講師などで生活の糧を得ていますが(求職中)、ここでの発言は諸機関とは全く無関係です

村井章介『分裂から天下統一へ』

本日は姫路、先週金曜日に続きまだお盆休みのところが多いようで、大阪駅での行列も姫路駅での降車客は通常の半分ぐらい。その代わり泊まり客らしい家族連れが姫路城周辺で動いていた。ただお誘いいただいていた村落調査には飛び石の仕事のため参加できず。そんな中で電車読書のほうは購入していたシリーズものhttps://www.iwanami.co.jp/cgi-bin/isearch?isbn=ISBN4-00-431582。15世紀末から17世紀前半を扱っているが、通常の概説書でみられる戦国大名から天下統一という一国史的な叙述は最小限に抑えられており、第二章の表題「銀と鉄砲とキリスト教」に象徴される東アジアの激動とヨーロッパ人の登場による「世界史」の成立を基軸としたもの。このテーマについて著者にはすでに『海から見た戦国日本』(筑摩書房版、1997年、原型は1995年、増補文庫版は未読)があるが、通史にするためという事情を踏まえた「十六世紀末の『大東亜戦争』」というインパクトのある表題をもつ第四章が本書の中核的な位置に置かれ、対外的契機を踏まえた集権的権力の強大さと野望を鮮明に叙述。近年の内向きに精緻化した豊臣権力論とは一線を画した骨太なスケールで論じられており、時代の転換を示す通史としてより明瞭な像を描くようになっている。しかも単なる秀吉の誇大妄想とするのではなく、ヌルハチと同じく中華を恐れない自尊意識を持っていたとした上で、異民族を支配するという意識の欠如に失敗の要因を求めるとともに、「武威」「神国日本」として徳川権力さらに近代日本との連続性が意識されている。さらに印象的なのが、「日本の中世、とくにその末期は城で溢れかえっていた」という第一章の叙述(22頁)が、「明治維新以降『皇居』となった江戸城は、世界最大の王宮ではないかと思われる」というおわりに(通常の謝辞を含むあとがきはない)の叙述(217頁)で落とされている点で、まさに本書が単なる対外関係史ではなく権力論・国家論として構成されていることがよくわかる。ただ惜しむらくは「石山」が完全に地名として処理されている点で、このようなしょうもないいちゃもんがつけられないよう最新の研究にも十分な目配りがほしかったところ。昨日ようやく成績報告を完了。年末に向けて山積みの締切原稿を少しずつでも手をつけていかないといけないのだが…。