wsfpq577’s blog

日本中世史専攻、大学非常勤講師・研究員などとして生活の糧を得ていますが、ここでの発言は諸機関とは全く無関係です

姫路文学館「没後10年 西山松之助展 ある文人歴史家と江戸学の軌跡」

本日はルーティン姫路。といっても先週は祝日と土曜振替勤務だったため、16日以来の職場。この間に地下の仮事務室から改修工事が終わったもとのスペースに引っ越し。荷造りしていた机まわりの書類などを戻し、スマホもつながるようになった。あわせて回覧書類をチェックしていると表題の展覧会が紹介されており、本日昼休みに観覧。著者の江戸文化の研究業績はおぼろげながら知っていたが、そもそも少し前にポスターをみて東京出身でないと知り驚き。家は有年の宿役人だったようで、姫路の師範学校を出て徴兵の後に上郡で訓導経験もあったとのこと。それから東京で禅修行をしてから、研究の道に進んだとのこと。しかも画才があり、幼少期を過ごした有年の民俗、茶杓の実測、器への描画、さらに実際に茶杓を制作し、染色家あげくに自弁で歌舞伎の舞台にも立ったとのこと。二度目の妻は佐賀錦の染色家として人間国宝だったという、まさに研究だけでなくそこに内在的に踏み込んでいったらしい。おかげで展示も自筆原稿だけでなく、カラフルな調査ノート・浮世絵・色紙など多様。単なる研究者ではなく一流の文化人で、しかも大きな後ろ盾もなかったようでまさに驚き。

姫路文学館 | 特別展「没後10年 西山松之助展 ある文人歴史家と江戸学の軌跡」

柳田快明『中世の阿蘇社と阿蘇氏』

本日は枚方3コマ。昨日から講義がはじまり早くも喉を消耗した上、帰りの電車遅れもあって、呆けて後処理もできず。ともかく熊本土産の電車読書だけは片付けておく。祭祀に携わらず、阿蘇谷にも居住しないにも関わらず大宮司世襲した阿蘇氏について、その成立から豊臣期までの動向を跡づけたもの。そういった方法のため、惟を通字とする人名がひたすら登場し、電車読書向きではなかったが、研究史・史料状況を紹介しながらの丁寧な仕事で、基礎的な知識を得ることができた。参加した研究会では新しい見解も提出されていたが、著書の最後にも述べられているように、まだまだ研究の余地はあるよう。

https://www.ebisukosyo.co.jp/item/519/

渡邊大門『嘉吉の乱』

新幹線は小倉を過ぎてから、広島で姫路・新神戸停車と接続と連絡。岡山行きに変更された先行車が福山停車中に追い抜き、予定より早く着くことができた。ハイブリッドのZOOMトラブルが発生したが・・・、シンポの段取りは確定。そういう事情があって、今回の電車読書のお供にしたのが表題書。メインはタイトル通りだが、円心・則祐を前振りに政則までの通史が叙述される。応仁の乱期に播磨回復に活動した赤松政秀になぜか触れられていないが、それ以外はTHE通説という感じで、大村拓生のうさんくさい研究は一切無視。他でも相手にされていないし、そんなもんかとも思うが、35頁に系図を掲げて、64頁「顕則の子・持貞」・68頁「持貞の父は、頼則」(著者の系図は後者)、154頁「満祐の身上について不穏な噂が流れ、やがて心身を病んでしまった」・166頁「満祐は義則を暗殺する際に、周到な準備をしていた」など、せめて一書の中での整合性は欲しいところ。まあ当方の赤松研究は今年度で打ち止めなので、通説には頑張ってもらわないと・・・。

筑摩書房 嘉吉の乱 ─室町幕府を変えた将軍暗殺 / 渡邊 大門 著

 

熊本

昨日は熊本県立美術館「雅ー細川氏の歴史と美ー」・熊本城を見学し、午後は研究会。久しぶりにお目にかかる方もあり、いろいろ勉強させていただく。お世話になった皆様ありがとうございました。本日も参加 したかったところだが、午後から10月のフォーラムの準備会で、新幹線の中。ただ姫路で下車予定が、静岡の大雨で岡山行きに変更。無事たどり着けたかは本日夜に。写真は熊本城、観覧可能になったとはいえ、あちこちの石垣は崩落した状態。

 

下関

昨日午後に熊本入り。所縁で某中世文書を実見させていただき、本日は研究会。その前に時間をとって下関に初滞在。住吉神社赤間神宮・壇之浦などを駆け足でめぐる。中でも収穫だったのが、「赤間神宮宝物図録」で、戦国末のものだという「安徳天皇縁起絵」が佐野みどり氏の解説つきで収録。船の形状は往時のものというより戦国ぽいのだが、それはそれで興味深いところ。神宮内には満洲から戻ってきた大連神社・大東塾の顕彰碑などもあるが、中世については学術的。昨日と同じ時間に目覚めてしまったので、スマホから投稿。写真は古戦場跡から。

坂野徹『縄文人と弥生人』

続けて電車読書の備忘。これまた講義の始まりに備え、積ん読の順番を先倒しにしたもの。明治以来の人類学・考古学での日本人の起源論を、記紀に依拠した先住民族にとって変わったという「人種交替」、考古遺物からの「人種連続」、縄文・弥生土器の編年研究の進展による「人種交替」を一定度引き継ぐ縄文/弥生人モデル、1930年代末以降の記紀の強調による固有日本人の強調、敗戦後の登呂遺跡ブームと石器時代から縄文時代弥生時代への転換、弥生の平和な米作りイメージ、土井浜貝塚人骨分析以降の縄文/弥生人モデルの勝利と位置づけ。人類学・考古学相互、それぞれの内部の差異、人類学・考古学者のそれぞれの戦時体制への協力、「大東亜共栄圏」期の海外に雄飛する日本人像と、戦後の平和の弥生人イメージなどの時代の規定性などを科学史家として丁寧に跡づけている。講義に直接影響はなかったが、踏まえておく前提としては有益。

縄文人と弥生人 -坂野徹 著|新書|中央公論新社

大阪城天守閣「戦国経済史序説」

その3。ネット情報は文書1点のみだったが、タイトルに惹かれ観覧。対外貿易・金銀の贈答・相場などに触れた古文書、鹿革・鮫皮(実際はエイ)・白熊毛(ヤク)・南蛮冑などの実物資料が展示。なお衝撃的だったのが「瀬戸内海・西海航海図屏風」で、解説によると秀吉の「唐入り」のために作成されたようで、大阪湾から北部九州までの浦地名がびっしり書き込まれ、航路も明記される。不勉強だったが今取り組んでいる仕事に不可欠で、これまで書いてきたことも考え直さないといけない情報もあった。この展覧会は図録が作成されておらず、館蔵品にもかかわらず過去の展示図録にも一切掲載されていないようだ。帰宅してネットで検索してみるとそれの原本が天理参考館で近年発見されたようで、あわてて古本としてあがっていたその展示図録を注文。ちゃんと読める図版が掲載されていればよいのだが。なお本日も単眼鏡で必要最小限の情報は読み取ったが、全く不十分。なおこちらが4Fで、3Fでは築城に関する資料も展示。近世後期の大坂在勤者が作成したという、和泉・摂津などの名所とランドマーク(丹生山・赤松峠なども)などを記した興味深い略式図もあった。

常設展 | 大阪城天守閣