wsfpq577’s blog

日本中世史専攻、大学非常勤講師・研究員などとして生活の糧を得ていますが、ここでの発言は諸機関とは全く無関係です

山田徹・谷口雄大・木下竜馬・川口成人『鎌倉幕府と室町幕府』

本日は枚方3コマ。終わるとヘロヘロ、こちらはすでに57才。電車読書は当方を引用していただいた中世もの。順に1980・84・87・89年生まれの研究者が、両幕府それぞれの公家寺社との関係・地方支配・滅亡をめぐる近年の研究を整理し、最後に座談会で構成。ただ鎌倉幕府は一人が全て担当し、室町幕府研究のいちじるしい発展を照射したもの。近年の研究史の整理としては丁寧だと思うが、研究発展の前提としてはマルクス主義うんぬんよりも(もともとこの分野の基礎をつくったのは東大実証史学)、自治体史・ネット検索など史料状況の好転が圧倒的(当方も手を出してみると、大日本史料七編の空白期はそれほど進展しているようには思えない)。当方が研究を始めた頃は手書き史料カードだったというのも、すでに想像がつかない世代だろう。また精緻な分析が社会とどれだけ接点を持ち得ているのかは改めて見つめ直す必要があるようにみえる。

鎌倉幕府と室町幕府 山田徹、谷口雄太、木下竜馬、川口成人 | 光文社新書 | 光文社

小川幸司・成田龍一編『世界史の考え方』

本日は職場の会議で休日出勤、新しい研究会立ち上げの第1回で、近世地図史料がどれだけ活用できるかが焦点。阪急とJRの連絡がよくなく、普通に乗ったこともあり、秋の講義に向けて購入していた読みさしの表題書を読了。高校教員(新しい岩波世界歴史の編者)と日本近代史研究者(文体が上から目線で余り好きではないが・・・)が、1近世から近代への移行(岸本美緒)、2近代の構造・近代の展開(長谷川貴彦)、3帝国主義の展開(貴堂嘉之)、4二〇世紀と二つの世界大戦(永原陽子)、5現代世界と私たち(臼杵陽)それぞれのテーマについて、古典・現代・ゲスト(永原氏のみ別)の3冊を取り上げ、編者・ゲストがそれぞれの論評・質疑と「歴史総合」の授業で取り上げたい「歴史への問い」からなるもの。議論が戦争責任から植民地責任へと連なる4での古典は、丸山眞男『日本の思想』より家永三郎『戦争責任』だったと思われるが(抑圧委譲テーゼがあるとはいえ、論評では実際に家永著書がメインとなっている)、研究の全体状況は整理されており、取り上げられた著書の大多数は目を通していたが再確認でき有益。ただ「歴史への問い」は高度すぎ、編者(現職は校長)もどれぐらい実践されているのだろうか。世界史の考え方 - 岩波書店

重田園江『ホモ・エコノミクス』

本日は枚方3コマ。金曜日が代休だったとはいえ土日出張の疲れがとれず。それでも電車読書は以前に衝動買いしていた表題書を読了。人間は自己利益を最大化するように行動すると措定したホモ・エコノミクスという経済学の理念型について、それが成立する以前の中世ヨーロッパにおける富と徳の関係を前史として、イギリス・オーストリアにおける力学・微分など数学的原理の導入、それが席巻したアメリカにおける政治経済学による差別・犯罪・投票行動などへの応用と新自由主義との親和性という展開を概観したもの。映画・つげ義春など脱線的叙述が目につくが、フーコー研究者という著者の切り口は鋭く、数式にすれば説明したことになるという欺瞞が暴かれていく。これまた購入したときの気分は忘れてしまったが、いろいろ勉強にはなった。

筑摩書房 ホモ・エコノミクス ─「利己的人間」の思想史 / 重田 園江 著

 

吉備史跡巡り

土曜日はそのまま宿泊し、ホテルでたっぷりバイキング。8:50に備前一宮駅着で、駅前のレンタサイクルへ。どこまでと問われ総社と答えると、向こうでは返せないといわれる。時間を確かめたかったようだが(3時間以内・4時間・それ以上という料金設定)、それならそう尋ねてほしい。吉備津神社吉備津彦神社・古代吉備文化財センター・妹尾兼康墓・賀陽氏館跡・造山古墳・備中国分尼寺・国分寺・作山古墳・総社宮・おしゃれなパン屋でベーグル補給・伝備中国庁跡・高松城水攻め関係史跡をめぐり、15:51備前一宮発で帰路に。岡山時代は車に乗せてもらう以外は出不精で、一度行ったかどうかという程度でいろいろ勉強になった。原付をもっていたにもかかわらず、そういう関心をもてなかったのが残念。

吉備津彦神社を少しあがったところにある伝藤原成親墓。古墳の上にたてられた中世の石塔。山を登ったところにも「成親遺跡」があるようだが、そちらは行けず。

伝妹尾兼康墓。Googleマップでたどり着くことができた。当方には結構よいものにみえるのだが、詳しい案内板はなし。成親とあわせて『平家物語』の登場人物の名前が付されているのも興味深い。

 

林原美術館「GOLDー永遠の輝きを探しにー」

昨日は岡山で研究報告。例によってZOOM配信だったが、当事者のみは会場へ出張。そういうわけで職場への招待券を利用して表題の展覧会を観覧。池田家伝来の美術品に加え、岡山城の金箔瓦なども展示。笑ったのは明治21年に島津の娘が婚礼の調度品としてもたらした調度品のミニチュア品で、翌年離縁したものの池田家に残されたという。恐らく蔵に押し込められたままになっており、奇跡的に岡山空襲から逃れたということなのだろう。

「GOLD―永遠の輝きを探しに―」 | 林原美術館 HAYASHIBARA MUSEUM OF ART 

研究会のほうは、はじめて地形形成史に本格的に取り組んだもの。参加者はほぼ古代史の方々だったが、数少ない中世史研究者からは何れも貴重なご意見をいただいた。例によって放置してしまいそうだが、何とか形にしたいところ。

河内将芳『大政所と北政所』

本日は中百舌鳥一限。晴れてきたので、寄り道をせず帰宅し、久方ぶりにルンバ以外で掃除。秀吉の母(実名不詳)と妻(著者は「おねゝ」と呼称)が、豊臣家という家の立ち上げのためどのように処遇されてきたかを跡づけたもの。あとがきで明かされているように、著者が長らく研究対象としてきた東山大仏千僧会を位置づけるための試行錯誤から生まれたもの。秀吉は家の系譜を大政所(いわゆる「日輪の子」)においていたが、秀次が高野山に大政所追善のために建立された青巌寺で切腹したことで、大政所祖父母に変えざるをえなくなり、千僧会もそれに規定されているとのこと。もともとは講座論文で触れざるを得なかったところから始まったような印象もあるが、それを自ら納得いくまでこだわって追求していく姿勢はさすが。いくつものテーマを中途半端に置き去りにしてきた自身としては反省することしきり。この夏には10年以上前に書いてどこにも出していない論文に決着をつけるべきか。

戎光祥選書ソレイユ008 大政所と北政所――関白の母や妻の称号はなぜ二人の代名詞になったか 歴史、城郭、神道など書籍の出版・販売|戎光祥出版株式会社