wsfpq577’s blog

日本中世史専攻、大学非常勤講師などで生活の糧を得ていますが(求職中)、ここでの発言は諸機関とは全く無関係です

京都文化博物館『実相院門跡展』

5年目の3.11だが、懸案となっている事柄もあって京都で表題の展覧会を観覧してきた。HPhttp://www.bunpaku.or.jp/exhi_special_post/jissoin/で出品目録は確認できなかったが、公式Twitterで中世文書が出ていたので、気になって出かけた次第。仏像も鎌倉のものが一体のみで、HPにあるように近世の障壁画がメイン。その一方で文字史料は「文保二年十一月記」という園城寺関係者と鎌倉との間の付法に関する文書(全期間展示)と、南北朝期の譲状、長禄の所領網黒くがあり、尊氏から義政までの判物15通を巻子にしたものがあり(前期のみの展示)熟覧できた。なかでも観応の義詮御判御教書は摂津の領主層の動きがわかるもので、その場で書き写すことができた。ソファーにおかれた図録をめくってみたが、文書は翻刻どくろか写真も掲載されていない。そのため後期分(奉行人奉書など16通)は確認できないが、解説で使われている文書を見る限り、実相院門跡と近隣百姓らとの山林等をめぐるトラブル関係のようだ。こちらも機会があれば見に行きたいのだが微妙な状況。文字史料ではその他に近世の日記などが並べられており、大雲寺力者が天皇の葬送に関わっていたようで、それに関する解説も図録に掲載されていた。入りは平日にしてはそれなりにはあり、さすが京都というところ。その後は下京の寺社巡り。細い街路をまわったがタクシーをはじめ交通量がかなりあり、いろいろ悩むところ。とりあえず恥を忍んで初めて出かけた場所の写真をあげておく。五条天神社(左)は中世の疫神、因幡薬師(中)は六角堂などとならぶ町堂、菅大臣社(右)は紅梅殿敷地として知られる。イメージ 2イメージ 3イメージ 1