wsfpq577’s blog

日本中世史専攻、大学非常勤講師などで生活の糧を得ていますが(求職中)、ここでの発言は諸機関とは全く無関係です

山岡耕春『南海トラフ地震』+『京都歴史災害研究』14の誤りについて

本日も姫路で会議。金曜日と同じく帰りの新快速は関係者との情報交換の場となったが、行き1時間弱は一人のため論文読みなどに宛て、その前の地下鉄で読みさしを読了。教養系の講義で南海地震について取り上げているため、知識刷新のため衝動買いしたものhttps://www.iwanami.co.jp/hensyu/sin/sin_kkn/kkn1601/sin_k869.html南海トラフ地震の仕組み・最大想定規模・富士山噴火など連動して起こる可能性ある事象・想定被害・対策などをまとめたもの。著者は地震予知連絡会副会長・火山噴火予知連絡会幹事を務めているということで、部局の公式見解がわかりやすくまとめられたものと思われる。ただ伊方原発には言及があるが浜岡原発については全くスルー、地学的影響も大きいと思われるリニア中央新幹線の積極推進姿勢については強い違和感を持った。なお地震がらみではなかなか書けていない論文があるのだが、『京都歴史災害研究』第14号(2014年3月刊)所収の長尾武「正平(康安)地震(1361年)による大阪での津波高、遡上ルート、湾岸集落への影響」http://www.rits-dmuch.jp/jp/results/disaster/dl_files/15go/15_2.pdfに決定的な文献の誤読があるためここに指摘しておく。長尾氏は法隆寺『嘉元記』の「安居殿御所西浦マデ潮満チテ其間ノ在家人民多以損失云々」という叙述について、「大阪実測図」の上町台地膝下に位置する「御所ノ内」を安居殿に、同じく「西浦」を西浦に比定し、津波高を非常に低くみなしている。しかし安居殿は他の史料から台地上にあるのは明らかで、「西浦」などという地名を遠く離れた法隆寺の人々が知るいわれもない。文献史料として解釈可能なのは「安居殿の西側(西浦)の上町台地膝下まで津波が来てその間の在家人民に損害を与えた」という伝聞情報で、特定地名に当てはめて高さを想定することは史料の読み過ぎである。本来はここに書くことではないのだが、津波の想定高とも関わっているためあえて記した次第。それにしても某書評も投稿論文が全く書けないというスランプが続く上に、校正原稿は間違いだらけで落ち込むことしきり。