wsfpq577’s blog

日本中世史専攻、大学非常勤講師などで生活の糧を得ていますが(求職中)、ここでの発言は諸機関とは全く無関係です

備前福岡と長船

昨日は刀剣関係の文献調査のため岡山出張。完全に好事家によって進められてきたため、主要雑誌『刀剣美術』がまとまって所蔵されているのは、国会と岡山県立図書館のみという事情。一日で終わるか不明だったため後泊にしたが(飲みに誘う相手はいたが、さんざん怒りをぶつけられてしまった…)、土曜日は10:00開館で、ある程度目処もついたため本日は午前中から現地踏査。同じような世界から始まりやはり雑誌が手に入りにくい山城研究が、民間主導から学術化したのにたいし、こちらは刀剣書などが判読できた世代の次が育っておらず近年の雑誌記事は完全に低調という事情もある(途中の欠巻はもう一度国会図書館に行く必要がある)。9:00長船駅着でレンタサイクル300円を借り、まず福岡市の故地へ。現地は街路名などの看板は整備されており、ウロチョロしているとパンフレットもいただいた。二本の横道と四本のタテ道という立派な町で、北東入口が旦過と呼ばれているのも興味深い。現存寺院は日蓮宗妙興寺のみで(他は廃絶したらしい)、赤松則興の子が創建と伝えられ戦国期には10坊を有し、黒田家墓所・宇喜多興家の墓と伝えられるものもあり(主要なものは近世で周囲に中世の石塔)、町の基本構造は戦国か。肝心の市があったと想定される現吉井川河川敷はゴルフ場と化しており、堤防もあって周辺環境はかなり変わっているだろうが、湧き水が豊富なのもj重要。続いて長船刀剣博物館http://www.city.setouchi.lg.jp/token/の特別展を観覧し(大量ではなかったが、子ども連れも含めそこそこの観光客が訪れていた)、周辺の史跡をめぐり、13:23長船駅発の電車で、播州赤穂・姫路で乗り換え、16:00前には大阪着。昨晩はそこそこ寝たつもりだったが、疲れが出たらしく、電車に乗ると睡魔に襲われほぼ寝てしまったが、懸案だった散髪にも行くことができた。明日からは20日締切の採点と原稿書き。写真左は妙興寺正面の市場小路で、堤防手前に福岡市跡の石碑が建つ。写真中央は長船に向かう途中の集落八日市墓所前、表示はなかったが室町の五輪塔ヵ。写真右は福岡慈眼院にある永徳四年銘という梵鐘(もとは筑前)、明治になって刀工祐定が寄進したらしい。イメージ 3イメージ 1
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