wsfpq577’s blog

日本中世史専攻、大学非常勤講師などで生活の糧を得ていますが(求職中)、ここでの発言は諸機関とは全く無関係です

斎藤幸平『人新世の「資本論」』

本日はルーティン姫路。といってもいつもとは毛色の違う業務があり結構疲れた。ただ昨日は午前一時間休をとったこともあって、電車読書は少しは進み、評判に釣られ衝動買いしていた表題書を読了。かつて一世を風靡した初期マルクスではなく、晩期マルクスこそが脱成長コミュニズムを目指しており、地球環境に危機に際して、矛盾を先送りしただけの気候ケインズ主義、超富裕層のみを救う惨事便乗型資本主義という気候ファシズム、混沌した野蛮状態、トップダウン独裁国家による気候毛沢東主義トップダウンで失敗を繰り返した毛沢東より「夢のディストピア」をつくりつつある習近平のほうが名称は相応しいと思われるが・・・)ではない、道を切り開くというもの。著者によるとマルクス資本論第一巻刊行後に、自然科学の成果に関する膨大な研究ノートを残しており、そこではヨーロッパ中心主義・生産力至上主義から完全に決別し、共同体に注目し大地の持続可能な管理という視点に到達していたとのこと。そこから社会運動によって「帝国的生産様式」を超克し、①「使用価値」に重きを置いた経済に転換して、大量生産・大量消費から脱却する、②労働時間を削減して、生活の質を向上させる、③画一的な労働をもたらす分業を廃止して労働の創造性を回復させる、④生産のプロセスの民主化を進めて経済を減速させる、⑤使用価値経済に転換し、労働集約型のエッセンシャル・ワークを重視、物質代謝の亀裂を修復することができるとし、ワーカーズ・コープ運動などにその萌芽をみることができるという。マルクスを全面に押し出さない藤原辰史氏などとも方向性は類似しており、都市でスーパーでの買い物に頼る一人暮らしの我が身を棚上げにすれば新しい展望として納得はできる・・・。

人新世の「資本論」 – 集英社新書