wsfpq577’s blog

日本中世史専攻、大学非常勤講師・研究員などとして生活の糧を得ていますが、ここでの発言は諸機関とは全く無関係です

植村邦彦『隠された奴隷制』

本日は本契約。仲介業者のところに売主・司法書士が集まり、署名捺印を取り交わした後に、七人連れだってぞろぞろと銀行に向かい、窓口で振り込み、相手側が確認した段階で、領収書と鍵が渡され一同解散。これまた二度と見ることのない風景。そんなわけで山陰でほとんどすすまなかった表題書をようやく読了。これまた後期の講義の関係で何となく気になって衝動買いしていたもの隠された奴隷制 (集英社新書)。タイトルは『資本論』の「一般に、ヨーロッパにおける賃金労働者の隠された奴隷制は、新世界での文句なしの奴隷制を踏み台として必要としたのである」という文章からとられたもの。ロック・モンテスキュー段階で肯定されていた奴隷貿易が、政治的自由から次第に批判されつつも、スミス・ヘーゲルが「私的所有の自由」を絶対視したのに対して、マルクスは労働者の「自由な自己決定という意識」そのものの欺瞞性を明らかにし、それを見抜くためには労働者に「並外れた意識」が必要だとしたという。それに対して福祉国家から決別した新自由主義は、労働者に「自律」と「自己責任」を求め、とりわけ日本では過労死に象徴される「強制された自発性」が極限まで進行したとする。その対抗原理としては、逃亡奴隷・東南アジア産地のゾミアのような国家的支配や強制的な労働から逃れることの重要性が説かれ、相手の行為に対して「対価」を求めない「コミュニズム」を原理とする「協同組合的ネットワーク社会」こそが資本主義の終焉を生きる現在の明るい未来として措定されている。奴隷制と資本主義の関係を原理的に説明したものとしてはわかりやすく感じた。ただ極限まで分業化された現代社会を脱出して自給自足的になるというのは原理的にはわかるのだが、それを維持したままの明るい未来についてはなかなか想像がつきにくいところ。当方も結局は金銭によって安息の地を得た次第…。