wsfpq577’s blog

日本中世史専攻、大学非常勤講師などで生活の糧を得ていますが(求職中)、ここでの発言は諸機関とは全く無関係です

清水眞澄『戦国時代と禅僧の謎』

本日は姫路。基本業務の一つが禅宗史料のDB化と何らかの形での公開ということになっているので、漢詩文と悪戦苦闘、教養のなさが身にしみるところ…。そんなこんなで書店で見かけ衝動買いしてしまった表題書を読了http://www.yosensha.co.jp/book/b281569.html。主要な素材は当方も昨年度に取り組んだ禅僧の日記『蔭凉軒日録』で、個別の記事は丁寧に読み込まれているとは思う。圧巻は朱夏の花として贈答品となった「仙翁花」の追求で、著者自身が自宅で栽培してみたというこだわりが、文章にも込められている。その他にも当方が気がつかなかった先行研究や事実の指摘がいくつもあり、その点では十分に勉強になった。とはいえ著者の史料のとらえ方について大きな違和感を感じたのも事実。贈答について、軍事緊張下の松茸のやり取りから密書の存在を憶測するが、日記に記されるのはそれが一回性ではなく継続的もしくは先例として参照されるからで、平時の政治性という贈答の本源的な意味を軽視しているように思えた(参考文献も個別のものに限られていて数年前の中公新書すら取り上げられていない)。また後藤基清をめぐる叙述を”藤左ファンクラブ”が表現されているのも、武家と禅僧の複雑な関係の評価としてどうかと思われる。あえてそういう方法を採ったとはいえ、史料との距離が全体的に近すぎる印象を持った。そのへんは文学専攻の著者と歴史学を学んできた当方の違いかも知れず、当方が禅僧の世界をほとんど理解できていないのも実感しているのだが…。なお一貫文を10万円以上で換算しているが、近年の類書と比べやや高額で、同じような説明が繰り返されているのも気になった。まあまだまだ勉強はしなければならない。