wsfpq577’s blog

日本中世史専攻、大学非常勤講師・研究員などとして生活の糧を得ていますが、ここでの発言は諸機関とは全く無関係です

広峯神社


木曜から明日日曜まで四日連続で姫路で仕事。ただし本日のみ別件の委員会で、朝は7:58の地下鉄で間に合い(明日は休日ダイヤのため5:56)、昼で終了(ある仕事を仰せつかってしまったのではあるが…)。というわけで午後は広峯神社にのぼる。同社は8世紀勧請と伝承.。祗園社も同社から勧請されたとされ、播磨地震との関係から白川断層が選択され御霊会が行われたとする説も提唱されている。複数の社家には中世文書も伝来しており、国府から書写に連なる地域の一角を占める重要な存在。とはいえ恥ずかしながら当方は訪れたことがなく、待望の機会となった。行路はバスで白国集落を越えた広峯まで向かい、そこから近世後期および近代に設置された町石に沿って30分ほど尾根道をのぼり神社へ。山門前には社家の住居(現住)が残り、山門横には室町初期とされる224㎝の宝篋印塔がありさすがの迫力(写真左)。その前からは現姫路城東にあったとされる国府、さらには瀬戸内海まで眺望できる。本殿は文安元年の棟札が残り、拝殿とともに室町期の神仏習合的建築とされる。さらに驚いたのが社地の奥・場合によっては社地より高い位置に戦後に使われなくなった社家の家が複数残っており(写真中央は魚住家)、御師組織が優越していた構造が立地からも確認することができた。帰路は事前に教えてもらったため北平野集落側に谷道を下ったが、往路と異なりいくつかの宗教施設の痕跡が残り、こちらがメインだったとも考えられることがわかった(写真右、石柱は文政八年に備中高松の講が建てたもの)。帰りにバスの時刻表を読み違えて、歩いている途中に追い越されるというミスがあったが有益な時間となった。イメージ 3イメージ 1
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