wsfpq577’s blog

日本中世史専攻、大学非常勤講師などで生活の糧を得ていますが(求職中)、ここでの発言は諸機関とは全く無関係です

野里など

昨日は姫路で歓送迎会(ワインを飲み過ぎ、帰宅は深夜に)。正規職員の勤務終了・移動時間にあわせて18:30開始だったが、当方の勤務は17:00までなので、近所の史跡巡り。姫路城南西に立地する総社の射楯兵主(いたてひょうずじんじゃ)から北側に街路が延び(現在は一部は消滅)、随願寺・広峯社に至る。その途中に野里集落があり、鍋が中世後期の贈答品として著名で、鋳物師関連の多数の文書をもつ家もある。姫路は空襲で壊滅し、戦後の都市計画もあってかなり改変されてしまっているのだが、野里は近世後期の家が残り旧街道の風情が感じられ、案内看板もあった。周辺を本気でめぐるのは二度目だが、中世の様相についてもいろいろ考える余地があるように感じた。写真左は15世紀創建の由緒を有する慶雲寺内に立地する井原西鶴好色五人女」で取り上げられたお夏・清十郎の墓塔と伝えられるもの。もとは塔頭光昌寺にあり、空襲で廃寺になり移されたという。ただし中世の石造物を転用したもののようにみえる。野里には中世史料に登場する寺院に由来する威徳寺町もあるが、こちらは天理教教会になっていた。写真右はお約束の姫路城の桜。
イメージ 1イメージ 2