wsfpq577’s blog

日本中世史専攻、大学非常勤講師・研究員などとして生活の糧を得ていますが、ここでの発言は諸機関とは全く無関係です

河内将芳『大政所と北政所』

本日は中百舌鳥一限。晴れてきたので、寄り道をせず帰宅し、久方ぶりにルンバ以外で掃除。秀吉の母(実名不詳)と妻(著者は「おねゝ」と呼称)が、豊臣家という家の立ち上げのためどのように処遇されてきたかを跡づけたもの。あとがきで明かされているように、著者が長らく研究対象としてきた東山大仏千僧会を位置づけるための試行錯誤から生まれたもの。秀吉は家の系譜を大政所(いわゆる「日輪の子」)においていたが、秀次が高野山に大政所追善のために建立された青巌寺で切腹したことで、大政所祖父母に変えざるをえなくなり、千僧会もそれに規定されているとのこと。もともとは講座論文で触れざるを得なかったところから始まったような印象もあるが、それを自ら納得いくまでこだわって追求していく姿勢はさすが。いくつものテーマを中途半端に置き去りにしてきた自身としては反省することしきり。この夏には10年以上前に書いてどこにも出していない論文に決着をつけるべきか。

戎光祥選書ソレイユ008 大政所と北政所――関白の母や妻の称号はなぜ二人の代名詞になったか 歴史、城郭、神道など書籍の出版・販売|戎光祥出版株式会社