wsfpq577’s blog

日本中世史専攻、大学非常勤講師・研究員などとして生活の糧を得ていますが、ここでの発言は諸機関とは全く無関係です

交野天神社・妙法院と京都国立博物館

順番が前後したが、火曜日の備忘。11:00試験終了(377名)・夜に組合の学習会という状況だったので、恥ずかしながら当地に通って10年にしてはじめて交野天神社に出かけた。バスで「あさひ」まで戻り、そこから集落の寺院を確認しながら30分ほど歩き到着。当地は継体天皇樟葉宮に比定され、桓武天皇の郊天祭祀(比定地は別)がきっかけで建立とされ、もとは「交野天津神」と呼称され祭神は桓武父の光仁天皇ということになっている。中世には天神宮・天満宮と呼ばれ、末社若宮があり、神宮寺は石清水八幡宮別当寺で、明治になって近傍の春日神社・天満宮が合祀されたという。現在も高台に神域の森が維持されており、淀川対岸も眺望できる立地。嘉禎造営・応永改築という社殿は中世的雰囲気が感じ取られ、大ぶりの本社とやや小ぶりの末社若宮が左右に並んでいている(写真左)。ただ気になるのは主神で果たして中世段階で光仁と認識されていたのか、天神となると道真ということになるが、また楠葉は摂関家領でありそのあたりも気になるところ。昨年刊行された論文執筆の際は棟札に登場する関所の小地名にのみ注目していたが、現地に建つと改めて考えてみなければならないことに気づく。旧道をもどり京街道を経由して樟葉駅でやや遅めの昼食。京阪で七条まで行き、冬期公開中の妙法院へ。秀吉が方広寺大仏千僧供養のために建てたという庫裏(写真右)の中に入るとともに、後白河の位牌なるものも遠目ながら見ることができた。門跡になる予定だった有栖川宮・タイからもたらされた仏舎利など近代についてもいろいろ勉強になった。続いて京都国立博物館へ。特集陳列「泉涌寺」が主目的で、楊貴妃観音など宋から将来された美術品や、戦国期に大山崎法華寺から紛失しその後に発見された鎌倉期の法華経などを観ることができた。ただそれ以上に成果だったのが、遊行上人縁起絵の京都金蓮寺本と兵庫真光寺本の信濃踊り念仏・松島・兵庫の同じ場面が展示されており、見比べることができたこと。14世紀後半とされる金蓮寺本もレベルは高かったが、元亨三年の奥書を有する真光寺本の圧倒的なユニークさに驚かされる。一人一人の表情・動作が豊かで、赤ん坊の採乳場面・塩竃の潮汲み・兵庫遊女など様々な情景が書き込まれており、ふすま絵もみたことない図像。絵師が遊び心いっぱいに描いたもので他の場面も観たいところ。絵巻は代表的なテキストは刊行されたのだが、異本の多い、聖徳太子絵伝・親鸞(屏風絵)・一遍(今回のは弟子他阿も含む)などは小さい図録が多く、ちゃんとした画像が欲しいものだ。
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