wsfpq577’s blog

日本中世史専攻、大学非常勤講師などで生活の糧を得ていますが(求職中)、ここでの発言は諸機関とは全く無関係です

河内将芳『絵画史料が語る祇園祭』

本日は13:00~14:30大人数教養の二回目、その後は電車・徒歩1時間弱の移動で、17:00~18:30少人数古文書学の一回目。どれぐらいのレベルかわからずテキストを決めかねており、ガイダンスと確認テストを行ったが、院生も含めて「遠」(マイナーな地名の一部のため類推は不可能)を誰も読めておらず、やはり判断に迷うところ。そんなこんなで帰宅は20:00をまわり、あらかじめおかずを用意していても明日の朝食準備も含め結構な時間になってしまった。少なくともあと9回は月曜連続・火曜朝からパターンがあるため、時間の使い方を考えなければならない(仕事があるだけましなのだが)。おかげで教養のカード整理も積み残しになったが、とりあえず昨日読了した電車読書の備忘。当方とは同年代とも思えないほどの精力的な研究活動を継続されている著者の最新刊https://www.tankosha.co.jp/ec/products/detail.php?product_id=1930。戦国期の祇園祭を描いた絵画史料である「歴博甲本洛中洛外図屏風」「上杉本洛中洛外図屏風」「サントリー祇園祭礼図屏風」を徹底的に読み解き、文献と照らし合わせることで、神輿渡御・山鉾巡行・見物風景の実像を明らかにしたもの。相変わらずの精密な考証はさすがで、当方が以前当ブログで記した不可思議な農村風景に関する疑問も「少将井政所」周辺だとあっさり氷解した。また神事としての神輿渡御と遊楽としての山鉾巡行で、人々の見物の態度が異なることが明確にされたのは重要な成果で、サントリー本の特異な描き方と天文17年の足利義輝祇園会見物との重なりが慎重な言い回しながら示唆されている点も貴重。また戦国の光景と共通点とその後の変化をわかりやすく解き明かした叙述は一般書としても優れたもので、豊富なカラー図版とともに楽しむことができる。なおしょうもない茶々入れを二つほど。神輿渡御の歴史を説明したところで天延2年と保延2年を「同じ平安時代後期」(35頁)といわれるのは少し引っかかる、また公家の見物が「密々」と表記されていることへの解釈が、原論文(『芸能史研究』207)まで確認してみたのだが、著者の意図が理解できなかった。公家日記のこの表現は「公的」なものではない(装束を含めて)という意味で使用されているもので、平安・鎌倉の天皇が神輿渡御を避けるなど祇園会が貴族社会の「公的」な行事ではなかったことに由来するのではないか。それはともあれ、やはり感嘆。一時にせよ著者に追いつけると妄想した自身の愚かさを思い知らされるばかり。