重松伸司『マラッカ海峡物語』
本日は千里山で三週目の講義と史料講読。史料講読は例年と異なり最初の受講者は少なかったが、この三年は二回目から半減していたのだが、本年は一人も欠けることなく本日にいたる。何も聞かされていないが何らかの対応がされたよう。そんな中での衝動買いしていた電車読書の備忘https://shinsho.shueisha.co.jp/kikan/0971-d/。副題にベナン島にみる多民族共生の歴史とあるように、大英帝国海峡植民地の一つとなったベナン島の19世紀社会を描いたもの。15世紀のマラッカ王国が、東シナ海域・東南アジア島嶼部・ベンガル湾海域の接点の港市国家として栄えたことは著名になったが、19世紀のベナン島も同様の諸相にあったことが示されている。交易品としてのビンロウ、英東インド会社の進出と居留地としてのジョージタウンから英インド総督が管轄するベナン島へ。ポルトガル人・フランス人そしてイギリス人といった欧米人、治安維持のための傭兵・建設下級労働者・ムスリムおよびヒンドゥー商人といったインド系、苦力から大商人までを含む華僑(孫文も辛亥革命前夜に潜伏していたとのこと)、売春婦(いわゆる「からゆきさん」)が先行する日本人などの様相が取り上げられる。なかでも驚いたのがキャラバン系商人だと思っていたアルメニア人が東インド会社の下請けとしてベンガル航路の担い手であったことで、シンガポールのラッフルズホテルなど東南アジアの著名ホテルがもともとアルメニア商人の経営だったという。モノカルチャー的な植民地経営にはなじまなかったため、このような多様性がうまれたものだろう。ただ第一次大戦、大日本帝国、マレーシア連邦への組み込みなど、その後の歩みにはほとんど触れられないまま、共生が強調されるのはどうかとも思う。