wsfpq577’s blog

日本中世史専攻、大学非常勤講師などで生活の糧を得ていますが(求職中)、ここでの発言は諸機関とは全く無関係です

木畑洋一『帝国航路を往く』

本日は姫路で論文校正、相変わらずのとんでもないミスを見つけたのはよかったが、さすがに和鋼博物館での成果を取り入れることはできず、中途半端な結果に。3日の報告レジュメはスムーズになったのに後悔しきり…。このところ一本後の新快速でぎりぎり通勤に変えたこともあり、帰路はわずかながら起きている時間ができ表題書を読了https://www.iwanami.co.jp/book/b427311.html。以前に紹介したシリーズの一冊で、これまた大英帝国論・20世紀論など講義の勉強をさせてもらっている著者ということで購入したもの。表題の帝国航路(エンパイアルート)とはロンドン・マルセイユを起点に、スエズ運河を経由して、インド洋からコロンボシンガポール、香港と大英帝国の植民地を結ぶ航路で、上海を経て神戸・横浜に到達する。当初はイギリス船(一部にサイゴンを経由するフランス船もあり)を利用するしかなかった日本人が、日清戦争後の1896年には日本郵船によるヨーロッパ航路が就航したことで、欧州渡航ではもっとも主要な手段だったとのこと(シベリア鉄道アメリカ廻りも存在)。もちろん旅行記を残しているのはエリートのみだが、幕末・明治維新後・日清戦争後・第一次大戦後・第二次大戦後と、大英帝国の最盛期からその翳り、その反対ともいえる大日本帝国の膨張という国際情勢の中で、旅行者たちが大英帝国、現地で植民地支配を受けるエジプト・インド・マレー・香港などの人々、各地に展開する中国人・インド人に対して、何を感じまた自国をどう認識していたかをたどったもの。やや枯れた叙述という所もあるのだが、さすが大家というだけあって全体史の中にそれぞれが位置づけられており、エリートの帝国意識の涵養に大きな役割を果たしたことが示される。また特に初期にはかなりの「からゆきさん」が散らばったようで、香港・シンガポールに残る墓地も紹介されている。本シリーズの最後は吉見義明氏でこれがどのように回収されるのか期待されるところ。