wsfpq577’s blog

日本中世史専攻、大学非常勤講師などで生活の糧を得ていますが(求職中)、ここでの発言は諸機関とは全く無関係です

薩摩新介『<海賊>の大英帝国』

本日で秋の講義は終了、来週の試験を残すのみに。ただし姫路週2は変わらないので、かつてのような長期休暇はもはや失われてしまった…。そんな中で秋に衝動買いしていた表題書を読了http://bookclub.kodansha.co.jp/product?item=0000317537。すでに講義のタイミングは過ぎてしまっていたため来年度用のもの。16世紀のイギリス周辺での略奪・拿捕の横行が、17世紀にはカリブ海をはじめ全世界に広がり、イギリス政府も植民地帝国の手助けをするものとして容認していたが、17世紀末からむしろ貿易の妨げになるとして取り締まりがなされる一方で、海軍や許可を受けた私掠者による「管理された掠奪」はその後も続き、1856年のパリ宣言でようやく自由貿易を妨げるものとして私掠が禁止されるようになったが、通商破壊戦としての側面は第一次大戦でも発揮されたという。それにしても東アジアの「倭寇的状況」が「海禁」体制に落ち着いたのに対し、このホッブス的世界の存続には驚かされるところ。とりわけカリブ海では奴隷プランテーション経営の前に、私掠段階があったことは来年の講義では取り入れるべきだろう。なお著者はあまり意識していないようにみえるが、西欧周辺での早くの統制との対比は、植民地という「異法空間」(山室信一)がもたらした現象として捉えるべきではないか。とりわけカリブ海を拠点としてインド洋で展開したイスラム船に対する私掠について、ムガル帝国高官の積み荷だったことによる配慮のみが述べられているのだが、ムガルが弱体化した後は、オスマンとの関係、対イスラムという側面での「法的」正統化の論理など、いろいろと気になるところ。