三谷太一郎『日本の近代とは何であったか』
本日は振替休日で自宅。来週末の報告レジュメ作成に当てるつもりだったのだが、先週末の体調不良が、月曜夜の年寄様子見・講義・姫路行きの疲れでぶり返し、来週の講義準備だけで気力が尽きる。最悪の状況は免れたとはいえ、相変わらずの傍若無人ぶりで輪をかけられてしまったようだ。そんなわけで昨日読了の電車読書の備忘を片付けておくhttps://www.iwanami.co.jp/book/b283083.html。1936年生まれの丸山真男門下で日本政治外交史研究者が、マルクスと同時代のイギリス人バシェットの「近代」のとらえ方を手がかりに、政党政治の成立・資本主義の形成・植民地帝国の性格・天皇制の意味という四つの主題について考察し、「議論による統治」・「貿易」を日本近代の成果として評価し、植民地を負の遺産として問うとともに、天皇制を「近代」を立ち上げるための目的合理性をもった装置としての側面と、自己目的化したフィクションに基づく非合理性という両面から把握したうえで、戦後の「強兵」なき「富国」路線が東日本大震災と原発事故によるエネルギー危機によって深刻な挫傷を与えたと認識し、第一次大戦後の多国間協調体制への高い評価を前提に、「米国が沖縄の周辺をめぐって再び対立する日中両国の間に立って、危機の回避のために貢献することは十分に可能です」とする。10年前の大手術の後に原書でバシェットを読むという知性は当方には全く及ばないところで感嘆するほかない。中身についても外債を避けた自立資本主義路線から国際資本主義を受けた日露戦争後の決定的変化までの歴史叙述は、具体的でそれなりの説得力があり、天皇制についても顕教と密教以来のテーゼとはいえ、いろいろ勉強になった。ただ政党政治の成立については、維新以来の人間関係以上を超越した「議論」の上に立つものとは思えず、「上」からの組み立てということもあって、「下」からの動向はなかなかみえない。さらに現代認識については、311が一つの画期となっていることは確かだと思うが、エネルギー危機と評価するのは完全に反対で、統治能力の欠如を露呈させないための「官僚制の暴走」に本質があると当方は認識している。現政権はそれと同床異夢のままマスコミ・知識人などを「共犯者」として巻き込みながら拍車をかけており、2020年に破綻するのを俟つだけで、米中もすでにそれを前提にしているように感じられ、著者の見解には従えない。ただその結論は日本前近代史の存在価値を喪失させてしまうことなり、当方にとってはもっともつらいところ…。