wsfpq577’s blog

日本中世史専攻、大学非常勤講師などで生活の糧を得ていますが(求職中)、ここでの発言は諸機関とは全く無関係です

福島紀子『赤米のたどった道』

水・金はルーティン姫路。特に水曜日は行きの上郡出張は信号故障で1時間半遅れ、午後に姫路で仕事をしてからの帰りは人身事故で20分遅れ、という散々な状況に。おかげで電車読書だけはすすむかと思ったら、久しぶりに衝動買いした専門がらみの表題書がとんでもない大外れ。こんなことを書いても今後長い目で見たらデメリットしかないのだろうが、つかの間の気分直しのために書き留めておくhttp://www.yoshikawa-k.co.jp/book/b219811.html。まず書き出しからありきたりの白米中心史観批判で、TPPにおける政府の「聖域」論におよぶ。晩期網野善彦ですでに時代遅れと感じたが、なぜ歴史学者としてここまで自由貿易と政府の欺瞞的宣伝を肯定的に評価できるのだろうか。続いて赤米についての説明が始まり、インディカ種であるという議論が否定される。考古学の方とお話をしていると出土した炭化米などから、中世日本でジャポニカ種とは粒の異なる種が栽培されていたことは常識だと思っていたのだが、どういうことなのだろうか。さらに古代・中世の展開について記されるが、これまたあたかも政治権力があたかも米栽培を強制したかのような叙述で、安室知氏のようななぜ受け入れられていったのかという視点が感じられない。中身も古く、「畠」は現在は国字ではなく朝鮮で考案されたものとされているはずで、これまでの歴史研究における水田開発の停滞論に、戸田芳実氏の「かたあらし」論が対置されるに至っては、これはいつの時代の著作なのか呆然とする。また矢野荘など東寺領庄園を事例に一年の農事暦が示されているが、これまたどこかで読んだような叙述で、赤米の話もほとんど出てこない。さらに貞享3年(1686)に松本藩領で起こった赤米の手間のかかるノギ取り強要と斗代下げを要求した一揆について、「江戸時代初期」・「近世中期」・「近世初頭」という表現に至っては、著者だけの問題ではないとはいえなぜ「近世前期」を避けるのか理解したがたい。しかも個別事例に踏み込んだのはこれぐらいで、中世文書を博捜したとようにもみえず、近世は著名な農書中心で、タイトルを納得させるような叙述には全くなっていない。近世後期以降も年貢米から駆逐されていったことが一般的に述べられているが、さまざまな土壌に適応できる一方で、風雨に弱く、味にもすぐれず、腹持ちもしないという、個別の評価について、白米以外の雑穀類との関係でどういう展開が生じたのかには、触れられていない。当方のように安い白米でかなりのカロリーを消費している貧乏人のことなど、嗜好品として謳歌する方には想像できないのだろうが…。