wsfpq577’s blog

日本中世史専攻、大学非常勤講師などで生活の糧を得ていますが(求職中)、ここでの発言は諸機関とは全く無関係です

白川部達夫『日本人はなぜ「頼む」のか』

本日は枚方12週目。昨年ほどの猛暑ではないとはいえ、かなり疲れがたまってきたところ。そんな中で余り中身を確認することなく衝動買いしていた表題書の備忘www.chikumashobo.co.jp/product/9784480072337/。というのも著者は近世史家として名前は存じ上げていたのだが、叙述の中身はほぼ中世。「頼む」」という表現が、平安時代の「信頼し頼りにする」(「恃む」という表記はより仏教的)という意味が、中世になると「委ねる」(主従関係の表現にも使用)という意味を持つようになり、人に何かを「依頼するという意味へも語義変化した。しかし江戸時代になると「人を頼りにする」という意味が低下し、定型化した挨拶となる一方で、上向きへの依頼はもともと神仏に望みを念ずる時に使われた「願う」となったという国語学の成果に依りながら、主従制の展開過程と惣村の成長という歴史的展開の中で「頼む」の用法を取り上げ、著者自身の言葉によると網野善彦の「無縁」に対して「縁」の社会史を構想したもの。やや説明が冗長なところや、河内源氏の本拠を「河内多田荘」とするようなミスもあったが、着想はなかなか興味深く、中世的「頼む」が近世以後は「義理」と表現されていくことや、「頼み証文」が代議制の前提になる一方で、契約関係というより依存関係として構築されたことなども重要な指摘。こういう語義研究は近世文書における表記を熟知していることが不可欠であると実感。なお本論の趣旨とは関係ないが、「頼み証文」の初期の事例として紹介した享禄の「奈良宿彦五郎」が「般若寺観音院」に出したという文書は、是非確かめておきたいところ。