wsfpq577’s blog

日本中世史専攻、大学非常勤講師などで生活の糧を得ていますが(求職中)、ここでの発言は諸機関とは全く無関係です

奈良国立博物館「国宝信貴山縁起絵巻」

昨日のことになったが、使い残した3dayチケットを消化して表題の展覧会に出かけてきた。近鉄奈良駅に降り立つと、暑いほどの陽気で、小中高生・外国人観光客も多数見かけたが、最初に入った「なら仏像館」のほうは、さすがに未成年者はおらず、充分に立ち止まって観ることができた。特展でないためもとの所蔵場所がはっきりしないものも少なくないが(金剛寺の仏像は京博からこちらに来ているようで、まだ本堂の修理が続いているらしい)、さすがに飛鳥以来の優品揃い。廃仏毀釈の痕跡か破片のコレクションまであった。ところが特展会場に上ってみると、全幅展示された絵巻部分はロープで囲まれ20人ほどが観覧待ち状態http://www.narahaku.go.jp/exhibition/2016toku/shigisan/shigisan_index.html。数年前はGW中でもそこそこ観られたように記憶しているが、平日でこの状態はちょっと驚き。客層の中心は団塊世代で、そこをターゲットにして宣伝が行われているためだろう。結局その後の予定が詰まっていたこともあり、行列が途絶えたところを狙ってロープの外から見るという選択に。ただうっすらとした記憶以上に絵画情報は豊かで、飛蔵を追う人々の履き物の有無、山崎長者宅に描かれた人々の関係性、山の植生と菜を摘む女性たち、勅使の構成、鹿・犬・猫などの動物たちの姿など、何れも見飽きないものばかり。近世の模本・現代の復元模写もあり、山崎長者の家のかまどの四隅に竹が立てられていることがわかるが、その意味についてはよくわからなかった(乞ご教示)。それ以外にも辟邪絵(平安から鎌倉成立の国宝らしいが全く頭の中になかった)・17世紀という説明がある「太子軍絵巻」(絵画表現はそこまで下るように見えなかった)など興味深い作品が多数。文書についてもこれまた気づいていなかった交通路を示すものが複数あり、後白河が天王寺から信貴山で駄餉を受けて東大寺に向かったことがわかる紙背文書については、がんばって書写したが『鎌倉遺文』補遺編で翻刻されていた。それはさておいても勉強になる展示だった。その後は国会図書館関西分館で科研報告書など手に入れられていなかった文書をコピーし、難波で買い物をして昨日記した状況を知り、実家の様子見をしてから帰宅。相変わらず生活リズムはつかめていないが、いろいろこなすことができた。