wsfpq577’s blog

日本中世史専攻、大学非常勤講師などで生活の糧を得ていますが(求職中)、ここでの発言は諸機関とは全く無関係です

二栢野

もともと当方のリサーチ不足で先行研究を見落とすことも多いが、逆に無視されることも少なくない(早い時期のものについては、拙著に収録する際に記してある)。近年の赤松関係も取りあげられないほうが多いし、先日全国誌に掲載された史料紹介でも拙著の紛失状の整理には触れられていない。まあ科研費の応募資格もない自称研究者によるものなので、研究倫理上も問題ないのだろう。このたびまた見かけてしまい、個人と言うより、『播磨新宮町史』史料編Ⅰ(2005年9月刊)という自治体史のため、ここで取りあげた次第。なお史料編といっても本文編は早くに刊行済(執筆は高坂好氏)ということもあって、史料1点ごとにかなり長めの解説を加えるという方針で編まれたもの。禅宗史料に初めて取り組んだのもこの時で、何しろ玉村竹二氏の学友だったという高坂氏の典拠史料にたどり着くのはかなり苦労した記憶がある。ただ二栢野については史料に気づいたのが遅かったため、論考で行われたような現地調査も行っておらず、刊行後にようやく三野寺を御案内いただいただけ。その点で不充分なことは否めないが、存在だけは示しておきたい。なお町史事務局におられた方とは姫路の仕事でもお付き合いがあり、数年前に別件で著者を案内したことがあるとうかがっている。