wsfpq577’s blog

日本中世史専攻、大学非常勤講師などで生活の糧を得ていますが(求職中)、ここでの発言は諸機関とは全く無関係です

「樟葉関・禁野関の領主と地域社会」

枚方市史年報』第18号(2016年3月)1~9頁に掲載され、本日手元に到着。2014年1月に淀川交通に関する講演をする機会をいただいた。その準備の際に楠葉関に関する文書の写真をコピーしていたことを想い出し調べてみると、文書に登場する「楠葉千富口郷関所」「同中小路郷関務」が、ほぼ同時期の棟札に登場する楠葉内の輪番組織であることが判明。権門寺社の関所と地域社会の関係を考える上で非常に重要な素材となるもので、かなりテンションが上がった。講演そのものは笑い一つとることのないつまならいものだったのだが、担当者には関心を持っていただき原稿依頼を受け、2015年3月に提出したもの。鎌倉・南北朝期の楠葉・禁野関については『枚方市史』(1972年)以外に専論がなく、その他にもいくつかの当時知られていなかった文書を使いながら、春日社・興福寺・石清水などのめまぐるしく変遷する領有関係を整理するとともに、楠葉地域の動向についても少し触れてみた。なお『枚方市史』の当該部分の多くは戸田芳実氏の執筆で、当方も準備の際に初めて読んだものだが、『尼崎市史』(1966年)と並ぶキレキレの叙述で、「悪党」研究・地域史研究の間違いなく最先端を行っていたと評価できるもの。生前の論文はほぼ平安期を対象としたもののみで、死後に刊行された著作類にも収録されていないため、全く知られていないように思えるが余りにも勿体ない。尼崎に続き枚方でも戸田氏を先行研究とすることになったが、史料の数はともかく、枠組みとして超えることが出来たのかと問われると、全く自信は持てない。なお楠葉関については室町期の制度史研究がいくつかあるのだが、それとの切り結びを果たすことはできず、今後の課題となった。4月にもう一本刊行される予定なので、関係者にはその後で送付させていただきます。最後になったが当方の提出した原稿について、事務局で史料に当たってご検討くださり、いくつかの誤読を訂正していただいたことを明記しておく。御礼申し上げます。