wsfpq577’s blog

日本中世史専攻、大学非常勤講師などで生活の糧を得ていますが(求職中)、ここでの発言は諸機関とは全く無関係です

「中世淀をめぐる交通と流通」

『ヒストリア』第302号(2023年2月)、45~63頁。昨年4月23日に行われた2022年度見学検討会「古代・中世の淀と都市形成」での同名報告をもとに執筆したもので、報告者の松永修平・柏田有香「淀周辺の発掘調査成果‐淀水垂大下津町遺跡を中心に‐」・古閑正浩「淀周辺の渡河点と造寺‐道照・行基の社会事業とその背景‐」とともに掲載。拙稿は平安中期から15世紀末までの交通史料をもとに淀の位置づけをおこなったもので、院政期の鳥羽殿の造立と淀路の成立、13世紀半ばの大渡橋の設置と淀関の成立、15世紀半ばの大渡橋の消滅と淀六郷の登場、に画期を見出し、発掘調査成果との関係を示唆したもの。本来ならそれぞれの模式図が作れればよかったのだが、そこまでには至らず強引に変な図を一つだけ入れた。先の四天王寺と同じく史料の数の割に誰も関心を持たず先行研究が著しく少ないため、註が3頁86もあり、本文に強引に入れ込んだものも含めて例によって史料を並べただけになった。そのうち報告後に知ったのが「歯長寺縁起」で、今まであまり利用されていなかったようだが、交通史料として非常に重要で、まだ手がけていない春休み仕事の某自治体史でも有益。抜刷はまだ届いていないが、来週に第一陣を引用者にお送りし、それ以外の方々は3月刊行予定の別稿までお待ちください。また『ヒストリア』は執筆者にPDFがいただけるので、そのうちresearchmapにもupする予定。なお発掘調査は本年も続いているようだが、その後の情報はいただいていない。