本日は一日講義のスライド作り。スキャンしたファイルをトリミングして番号を振るという単純作業なのだが、意外と時間がかかり今週金曜と来週月曜分のみ終える。まだ火曜日分が残っているが終わりそうにないため、昨日読了した電車読書の備忘を残しておく。19世紀前半から欧米では医学的根拠について、医師としての個人的経験を重視する直感派、動物実験や遺伝子実験など生物学的研究の結果を重視するメカニズム派、統計学の方法論を用いて人間のデータを定量的に分析した結果を重視する数量化派の間で、論争が繰り広げられてきたが、20世紀後半になって数量化派が優先すべきという合意ができたという。ところが日本では19世紀末の実験医学全盛期のドイツ流医学が移植され、GHQの公衆衛生学も定着しないまま現在にいたっているため、教育・研究とも人間そのものを対象とせず動物・遺伝子・細胞などに偏り、臨床医学が著しく軽視され、世界の潮流からかけ離れた状況だという。その具体的事例として福島県放射線健康リスク管理アドバイザー・山下俊一長崎大学教授・水俣病認定にあたり中央公害対策審議会環境保健部会部会長となった井形昭弘医師・乳児突然死症候群研究班関係者など多数の実名があげて誤りと根拠のなさが指摘されるとともに、彼らが「科学的に語れない」「データが読めない」ため、その対応が「確信犯なのか無知なのかもわからない」と評価されている。一問一答にこだわり全体の理解を考慮しない日本の学校教育の極北が医学部で、その弊害が如何に大きなものになっているのかが非常によくわかるもの。なお日本では数人しかいない大気汚染疫学の研究者が、アメリカには一万人ぐらいいて数え切れないなど公衆衛生学がすすんでいるというが、遺伝組み換え食品・狂牛病など巨大食品産業により食品健康基準が非常にずさんというイメージとどう対応しているのかは気になるところhttps://www.iwanami.co.jp/hensyu/sin/sin_kkn/kkn1311/sin_k741.html。それはさておき部分ではなく全体を見通すという点で歴史学の役割は大きいと考えるが、本書の後に読み始めた対談集はあまりにもひどい。印税に貢献していないので当ブログでの立項の予定はないが、これが評価されているとするなら日本の読書人は何を考えているのだろうか・・・。