「戦国期に奈良から尼崎を旅した僧侶たちの記録」
『地域史研究ー尼崎市立地域研究史料館紀要』第113号(2013年11月27日発行)P29~36に掲載され、土曜日に手元に届く。2006年に公開された京都大学所蔵「宝珠院文書」のうち、中世後期長洲荘に関して地域研究史料館で翻刻作業がすすめられ、それを検討する研究会が2009年から2011年まで持たれた。このほどその成果を掲載する「宝珠院文書から見る中世後期の尼崎」が企画され、その一部として刊行されたもの(とりまとめは市沢哲氏、各論の執筆は古野貢・天野忠幸・村井良介・伊藤啓介・大村・小橋勇介、以上執筆順)。史料の多くは戦国期の書状類で執筆メンバーもそれに関する第一線の研究者で、当方は全くの場違いなのだが、宝珠院の寺僧二名が長洲荘での収納(?)に向かうための明細帳(端裏は「在庄下用」、漢字・カナカナ表記)があり、それを翻刻するとともに逐条解説を加えたもので、タイトルは一般へのわかりやすさを意識した。当方の古文書読解能力は全く覚束ないものだが、仮翻刻されたテキストをもとに語釈を確定しながら修正し、もう一度確認してもらったので信用できるはず(笑)。この手の文書については小島道裕氏の専論「中世後期の旅と消費」(『国立歴史民俗博物館研究報告』113、2004年)があるが、それに紹介されていないものを一つ加えることができ、興味のある方は御覧ください。なお尼崎市立地域資料館のHPhttp://www.archives.city.amagasaki.hyogo.jp/でも昨年度の紀要は公開されており、何れ見ることができるはずです。なお鎌倉期の宝珠院文書を活用した拙稿「鎌倉後期の尼崎ー『悪党』教念・教性の活動を通じてー」(『地域史研究』108号、2009年)はPDF公開されています。