wsfpq577’s blog

日本中世史専攻、大学非常勤講師などで生活の糧を得ていますが(求職中)、ここでの発言は諸機関とは全く無関係です

政野淳子『四大公害病』

昨日は久しぶりに研究会・飲み会に参加したため、一日遅れで電車読書の備忘を記しておくhttp://www.chuko.co.jp/shinsho/2013/10/102237.html。一般に四大公害裁判とされる、水俣病新潟水俣病イタイイタイ病四日市公害の発症から、本年までの経過がコンパクトに整理されており有益。何れも初期段階では発生源となった企業・中央官僚が、学者・地方自治体を抱き込んですさまじい隠蔽工作が展開していたことがよくわかる。また水俣病に典型的な企業城下町的特質を背景としながら、「嫁が来なくなる」などの共同体的抑圧が重くのしかかっていたこと、イタイイタイ病は患者の多くが中年以上の女性だったことで問題が表面化するのが遅れたというジェンダー意識など、1960年当時の地域社会の状況がよくわかる。そのなかで患者の痛みに向き合う少数の専門家の努力・社共革新系団体の支援(四日市で総評幹部が幕引きに当たったようだ)・内部告発によって、裁判闘争の勝利が導かれていったという。審議されている特定秘密保護法案が採択されたら(なお決着がつくまでトップページは変えない)、真っ先に直面するのは「戦争」よりもこのようなケースでの行政による「秘密」乱発になることが予想され、そうした世論喚起が必要なのだが・・・。また裁判の「勝利」後にも補償対象をいかに限定するかというトロイカ体制による揺り戻しがおこり、未認定患者問題は現在でも解決されていないという。それにしても大企業擁護体制の闇は深く、水俣病発生源のチッソアセトアルデヒド生産が石油化学工場で生産が軌道に乗るや過失を認めたというのは、政治家の関与も含めて何らかの裏取引があったことは確実だが、いまだ解明されていない。近年話題になっているpm2.5についてもアメリカでは1997年から規制されていたにもかかわらず、日本政府が基準を定めたのが2009年なのも、発生源として中国を非難できるようになるのを待っていたとしか思えず、猛烈なキャンペーンがマスコミでなされた。とりわけこのころのように公害規制が環境技術の発達につながったといえるような健全な企業人が失われ、大学は「忠誠競争」の場と化し、革新勢力も弱体化している状況では、今後がますます危惧されるところである。