ジェンダーは正直好きではない。それ以前の運動(たとえば婦人運動)に対する敬意のない否定的姿勢、自らを特権視する「エリート主義」、アカデミズムに席を占めておきながらそれを全否定する論調などにはついていけない。高専公募の最終面接で二敗したという経験も輪をかけているのかもしれない(男性教員が圧倒的な現状では、学閥の中心以外では女性のほうが有利になっている)。それにも関わらず購入したのは、執筆者の顔ぶれが日本学術会議でのシンポジウムがもとになっていることもあり、「バリバリ」の論者ばかりではなく、その分野以外でも興味深い仕事をしている(ある意味意外な)研究者がメンバーに含まれているためである。中身も一部に決めつけや受験に制約された日本の教科書の特性を理解しない不毛な批判、史実=男性/物語=女性というステレオタイプの分析もあるが、全体としてはまっとうなものとして理解できる。また女性が徹底的に抑圧されていたアテネと男性市民が恒常的臨戦態勢を取っていたが故に「銃後の守る」女性に一定の自由があったスパルタという社会構造の違いもたらす女性の地位の差異、アフリカで奴隷とされるのは女性が多数で「農業労働者は男性の労働」と見なされた西欧の認識がクロスオーバーしたことで展開した大西洋奴隷貿易の姿、女性奴隷の「嬰児殺し」という抵抗、近現代日本における避妊に関する心性の変化など、興味深い事実も知ることができた。なお日本史関係で遊郭・大奥・慰安婦などに関する教科書記述についての批判が、複数から指摘されている。遊郭を美化するのは論外だが、性に関して中学・高校レベルの歴史教育で取り上げるのは、自身が男子中高校で長年教えた経験からしても本当に難しい。歴史教育では人身売買と性産業の中世以来の関係を押さえることとして、逃げかもしれないが慰安婦については「性の自己決定」に関わる保健などでの教育のほうがふさわしいのではないかhttp://www.seikyusha.co.jp/books/ISBN978-4-7872-3324-0.html。本日は一食目が10:00、2食目が16:30になった。18:00から講義があり途中に移動もあるため、どのタイミングで食事にするのかなかなか決まらない。