歴史学研究会・日本史研究会『「慰安婦」問題を/から考える』
昨日・本日は京都で中世文書の原本調査に混ぜてもらう。やはり原本のもつ情報量には圧倒されるばかり。皆々様方に厚く御礼申し上げます。久しぶりのホテルは余り熟睡できず、帰路の車内はすっかり爆睡にしてしまったが、逆に往路は逆に気持ちが高ぶって眠れず、前からの電車読書を読了したもの。以前に見かけた時は躊躇したのだが、一月に書店に寄った際に他にめぼしいものもなかったため、何となく購入したものhttp://www.iwanami.co.jp/.BOOKS/06/8/0610050.html。周知のように1991年に韓国人証言者の登場により顕在化した「慰安婦問題」は、1995年の「河野談話」で日本政府が責任を認めたものの、日本の右派勢力の巻き返しと韓国内の諸状況により「政治問題」として未決着なまま、国際的には「性奴隷」制度として認識が進展する一方で、日本国内では朝日新聞による吉田証言否定でほぼ抹殺されるに到った。その先頭に立ってきた現首相について、当方は政治的以前にその余りにも「反知性的な姿」ゆえに能力的にも評価できないのだが、特定の歴史的事実を社会から抹殺することにある程度成功したという点では、恐るべき人物だと言える。一方でその責任が歴史学会にあったことも否めず、「慰安婦」研究は「強制」など余りにも政治イシューにとらわれた結果、孤立したものになっていた点は不満に思っていたところ。その点ですでに遅きに失した感はあるが、初めて歴史研究の地平に「慰安婦」をおいたものとして画期的な著作。軍事性暴力と日常世界という副題がついているように、「慰安所」の分析ではなく植民地朝鮮社会における女性の位置、世界の軍管理売春制度、日本人「慰安婦」の平時から戦時への移行、大正期日本の大衆買春社会の成立、男性性と性文化、この20年の日本社会の変化と「慰安婦」への受け止め方など、多様な側面から問題浮かび上がらせている。当方は前々から「慰安婦」問題の本命は日本人「慰安婦」を生んでしまったことをどう認識するかだと思っていたが、本書の小野沢あかね論文は正面からそれに取り組んだもので力作。人身売買を繰り返され、「慰安婦」時代が「ましだった」「楽しかった」という証言こそがもっとも重いもの。もはや証言が出現することはないだろうが、気になるのは橋田壽賀子が「おしん」執筆ついて語っていたテレビでは言えないというエピソードのこと。最後に各論文について解題的な論評が座談会形式で加えられているのも理解を助ける。欲を言えば「ピーカン」「公衆便所」など帰還日本兵が戦後社会に持ち込んだ性文化の分析があればなおよかったのだが。