wsfpq577’s blog

日本中世史専攻、大学非常勤講師などで生活の糧を得ていますが(求職中)、ここでの発言は諸機関とは全く無関係です

中塚武『気候適応の日本史』

引き続き電車読書の備忘。樹木年輪のセルロース酸素同位体比の活用によって年単位の夏の気温と降水量の復元を成し遂げた著者が、その方法論を説明するとともに、1200年周期の長期変動、40年の中期変動、1年単位の短期変動、それぞれが歴史に何をもたらしたかを地球研での共同研究の成果をもとに概説し、過去の気候適応の様態を人類史に学ぶことができるという。あとがきに「日本史の文脈に沿うことを念頭に置いて、本書を執筆した」とあり、地球研の古代・中世はすでに目を通していたので、全体的にはわかりやすく、特に最初の方法論の展開は今更ながら納得したところ。著者は「未知の中周期の発見」だけに焦点を当てた、従来の日本史の議論を完全に度外視した「尖った本」も執筆予定とのことで、そちらでまた考えてみたい。なお『日本史研究』の大会報告批判でちゃんと触れていなかったような気もするが、14世紀に飢饉史料が少ないのは、市場経済で調整されていたというよりは、やはり戦争によってかき消されてしまったと考えるべきではないか。

気候適応の日本史 - 株式会社 吉川弘文館 安政4年(1857)創業、歴史学中心の人文書出版社

今城塚古墳

日本庭園前からJR茨木駅までバスに乗り、JR摂津富田駅から徒歩で向かう。もともと水曜中百舌鳥帰りに予定していたが、上着が余りに暑かったので本日に変更。来週予定の概説講義「古墳と天皇陵」のうち、表題部分が20年前の埴輪祭祀出土直後の情報のまま続けてきたので、スライドのために見学。休日ということもあって子どもを連れた家族連れを多数見かけ、外郭部にテントを貼ったり、復元された埴輪祭祀場を走り回るというのどかな光景。歴史館ではその後の石室基盤工の調査や竜山石とともに阿蘇ピンク石の出土などの情報を得ることができた。

いましろ大王の杜 -今城塚古墳公園と今城塚古代歴史館- | 高槻市観光協会公式サイト たかつきマルマルナビ

埴輪祭祀復元の奥に周濠があり、左が後円部

なお今城塚古代歴史館で『芥川城跡ー総合調査報告書ー』が販売されており購入(2000円)。昨年12月刊行らしいが、まだHPなどで周知はされていないよう。考古学調査に加え、綱文91の中世史料の翻刻(1つに数点の場合、軍記は参考史料のため点数は倍以上)もあり有益。帰路は松永久秀の出身地とされる五百住と富田寺内をまわり、阪急富田駅から帰宅。下調べが悪く見逃したところもあったが25000歩の巡検となった。

国立民族学博物館「焼畑ー佐々木高明の見た五木村、そして世界へ」

本日、次エントリーのついでに観覧。万博記念公園駅はそこそこの人出で案内標識も明確ではなく、迷いながらたどり着く。企画を知った段階で観ておく必要があるとは思いながら、予想通りの環境に調和した焼畑路線。五木村の現状、映像記録、再現された木おろし(枝打ちのために木と木との間に竹をかけ渡るもの)など興味深く、近世文書の「火」へんではなく、「火」かまえのなかに「田」と記す文字表記、「梶原領」・「地頭畑所」・「百姓畑所」などの区分(図では「地頭」「百姓」の入会が示されるが文書は不明)も勉強になった。ただ畑作循環だけで薪が全く出てこない。戦国末から都市部に電力が普及するまで焼畑村落が広範に展開したのは、都市部で大量の薪需要があったからこそで(近世大坂は土佐・日向が主産地)、四国山地などは中世の皆伐のあと、林業地域と焼畑地域に分離したと想定される。佐々木氏が五木に入ったのは1959~60年のことのようで、民俗(民族)学者の焼畑論は、薪の大量供給が途絶して拡大造林が開始されてから調査が行われ、弥生水田耕作・柳田民俗学のアンチ・テーゼの意味を持たされ、近年の「山村」研究者もそれを継承。マルクス主義ではないので戦後歴史学のように批判の対象にならないが、こちらも大問題。

焼畑 ―― 佐々木高明の見た五木村、そして世界へ – 国立民族学博物館

朝治武『全国水平社1922-1942』

本日は中百舌鳥1限、地下鉄で腹痛に見舞われあせったが、途中下車して事なきを得る。それでも電車読書はすすみ衝動買いしていた読みさしの表題書を読了。関与した人物に焦点をあてて、共産党系・無政府主義系・社会大衆党系・保守系・国粋系などさまざまな潮流が絡み合いながら、徹底的糾弾・社会的糾弾・人民融和的糾弾・挙国一致的糾弾といった路線転換の様相を描いたもの。この分野は不勉強で一部の活動家の名前を知るだけだったが、全体像がそれなりに理解できたが、中央の組織変遷のみで地域的動向はあまり。見えなかった、なお1941年6月に中央融和事業協会が同和奉公会に改称し、それが戦後に連続するというのも初めて知った。なおあとがきで著者が大阪人権歴史資料館学芸員として全国水平社展を担当したことが記されるが、その後の館の動向(大阪市によるひどい仕打ち)については触れられていない。

筑摩書房 全国水平社1922‐1942 ─差別と解放の苦悩 / 朝治 武 著

上山慧『神戸平民倶楽部と大逆事件』

本日はルーティン姫路、いろいろあって心身共に疲れ果てる。それでもひょんなことから購入することになった表題書の読みさしを読了。平民新聞に触発されて結成された初期社会主義結社の活動と、その中心人物で大逆事件連座させられ、死刑判決から減刑無期懲役となった岡林寅松・小松丑治の活動を掘り起こしたもの。ネット・オークションに出品されていた出獄後の高知新聞での岡林のインタビュー記事のスクラップ(両名は高知出身、新聞は戦災で焼失し残されていないらしい)を活用するという、1992年生まれらしい今時の手段も活用しながら丁寧に跡づけた仕事で、岡林のエスペラント語活動も興味深い。日露非戦論から100年以上経ったいま、戦争と軍事同盟にいかに向き合うべきか。

神戸平民倶楽部と大逆事件 上山 慧(著/文) - 風詠社 | 版元ドットコム

大阪歴史博物館「三好長慶と戦国の『おおさか』」

本日は中百舌鳥1限、ちょうど引っ越しとコロナが重なったため、朝の梅田経由通勤は初めて(昨年度は定期試験だけ対面だったが)、教室の設備などもほとんど記憶から飛んでいた。そのまま帰宅するのもむなしいので、表題の展覧会に立ち寄る。近世の常設展のなかにこっそり紛れて、戦国の文書4通と榎波城・渡辺津などからの出土遺物、近世の伝記史料などが並べられていた。また新収蔵展では故木下密雲氏(お亡くなりになっていたのも初めて知った)蒐集の生駒山地周辺の寺院・墓地からの瓦・青磁椀などがあり。大阪歴史博物館:常設展:展示更新情報:三好長慶と戦国の「おおさか」 

久しぶりの対面講義の連続でかなり疲れた。まだ後処理も残っており、当面それに追われそうな状況。やはり東大に行くのは無理そう。開室時間まで短縮されており、成果が期待できるかも不透明。

鈴木董『食はイスタンブルにあり』

本日は千里山2コマ。この2年間は第1回目は全て遠隔から始まっていたため、微調整しながら使い回しているとはいえ対面では久しぶりの内容。千里山の教養科目は遠隔・対面を最初から分離して遠隔に受講者が殺到しているらしく、80名と40名だったがそれでも緊張感。電車読書のほうは遙か昔に衝動買いしていた表題書をようやく処理。オスマン帝国の首都イスタンブルにおける食生活の豊かさを17世紀の公定価格表と19世紀の料理書を基本史料として、市場・調理方法・宮廷料理などを概観したもの。遊牧民族であったトルコ語「ヨウルト」由来のヨーグルト、焼き肉型・蒸し焼き型・煮込み型の3種類があるケバブ、各地の食材の集積、貧者への給食、宮廷による洗練化など、食文化の展開と、19世紀の「西洋化」、著者が留学していた1970年代、原本が出版された1995年、その後(文庫版のあとがき)における「伝統」の衰退と地方料理のメジャー化という状況が描かれる。残念ながら食したことはないのだが、いろいろ興味深いところ。

『食はイスタンブルにあり 君府名物考』(鈴木 董):講談社学術文庫|講談社BOOK倶楽部