wsfpq577’s blog

日本中世史専攻、大学非常勤講師などで生活の糧を得ていますが(求職中)、ここでの発言は諸機関とは全く無関係です

藤本孝一『本を千年つたえる』

近年の多数の出版事業の中でも大きなインパクトがあったものの一つに、冷泉時雨亭叢書全84巻がある。藤原俊成・定家以来の和歌の家として知られる冷泉家の蔵書が明らかになり、長らく写本を底本としていた藤原定家の『明月記』も原本の影印本を参照できるようになった。本書は1980年の公開決定から事業に携わり、時雨亭叢書刊行にも大きな役割を果たした著者が、その蔵書の来歴を写本研究から明らかにしたもので、昨日の電車でほぼ読み今朝の電車で読了。とくに本来は冷泉家に伝わるものではなかった対立する諸家の歌書であったことを、写本の形態から説明している部分は大変興味深く、冷泉家の歴史についてもよくわかった。また大量の写本を作成した藤原定家のすごさとともに、著者が言うとおりこれが本当に平安文学をそのまま伝えたものなのかいう疑問も実感された。実は春に京都文化博物館で「冷泉家 王朝の和歌守展」で写本ごとの性格の相違に配慮して展示がされていたということなのだが、図録を購入しなかったためその時は気づいていなかった。ただし本ブログで形の相違については指摘しており、無意識には展示の意図は理解していたようなのだが・・・。それにしても生の史料に豊富に触れてそこから情報を引き出すことができるような著者は、刊本勝負の当方などとは全く違う世界にいるのだろう。某書の書評をした時にその著者の前著を著者が書評をしており、余りにも冷たいものだと感じたが、こういう情報をわかりやすく出してもらえるのはやはりありがたい。ただし本書は多数の奥書(返り点なしの漢文)・写真(解説なし)に引用されており、わかるのはそれが理解できる研究者のみで、一般書としての配慮には余りにも欠けているのではないかhttp://publications.asahi.com/ecs/detail/?item_id=11998。午後は某校正を兼ねて総合資料館で仁和寺文書の影写本読み。成果はあったのだが蔵書検索であると思っていた雑誌を途中までしか所蔵していなかったのは失望。荒本まで行くしかないようだ。