wsfpq577’s blog

日本中世史専攻、大学非常勤講師などで生活の糧を得ていますが(求職中)、ここでの発言は諸機関とは全く無関係です

一ノ瀬俊也『故郷はなぜ兵士を殺したか』

今日は夜に研究会http://www.lit.osaka-cu.ac.jp/UCRC/。議論が混乱しているように感じたので発言したが、主催者の意図としてはそれでよかったのかもしれない。今後は自粛しよう。さて今週はかなり電車の中で寝てしまったので、ようやく表題書を本日で読み終えることができた。著者の一般書は必ず読んでいるが、相変わらず突き抜けたおもしろさがある。1965年生まれの自身は、戦後歴史学の担い手たちが第一線で活躍していることから影響を受けた最後の世代で、そこで議論された諸々が課題となり続けている。それに対して1971年生まれの著者は、良くも悪くもそこからは全くかけ離れたところにいるように感じる「新人類」といえる。近代の戦争と兵士というシビアな問題を扱っていながら、気負いのようなものが全くなく、ある意味純粋に史料に現れる事例のみから議論がたてられている。本書においても日露戦争の体験がいったんは忘却といえるような状況となり、それが大正デモクラシー・都市化に取り残された「貧しさ」のなかから呼び起こされ、昭和の戦争を支えるようになる一方で、敗戦と経済成長による「豊かさ」の中で後ろめたさ忘却という複雑な感情をもってうけつがれていった状況を、在郷軍人会・遺族会などが編集した追悼文集を素材に論じられる。結論は「そもそも日本社会は明治から現在に至るまで、生者同士の『政治』から離れ、戦死者の立場に立って『慰霊』なり『追悼』なりの論理を構想してきたことなど、実は一回もなかったのではないか」というある意味で身も蓋もないものとなる。これは批判しているのではなく、恐らく大学の場で戦争を語る場合もこういうスタンスに立つことで、はじめて学生に受け止められると感じるものである。恐らく今期の授業でも取り上げることになる。http://www.kadokawagakugei.com/detail.php?p_cd=201001000447