wsfpq577’s blog

日本中世史専攻、大学非常勤講師などで生活の糧を得ていますが(求職中)、ここでの発言は諸機関とは全く無関係です

東島誠『自由にしてケシカラン人々の世紀』

才気溢れる文体と、明快な議論で、頭が固く視野の狭い日本史研究者にない能力を持っているとして各方面から評価されているのだろうと、註からみえる著者の著述活動から読み取ることができる。中世史研究者から見ると、わかりきったことをさも自らが発見したかのように述べる、お東大出身のおエリート様の傲慢な文章に過ぎないのだが。内容も著書と自治体史をアレンジしたアラカルトで、「時系列の通史に堕しておらず」というが思いつきの連続に過ぎない。その上に土器データから経済の「V字回復」があったかのように述べたり、儒仏道三教一致が中世とするなど、前提も危うい。そもそも20年前と同じ勧進猿楽の事例を持ち出すだけで、何ら補強できていないのは、学問上の発展がなかったことを露呈している。「V字回復」の肯定(単なるリストラによる企業収支の取りつくろい)、飢饉で施行を受ける人への年越し派遣村をめぐる石原発言を思わせる蔑視(しかもそれを実名での学生作の絵で見せる狡猾さ)、『史学雑誌』回顧と展望に全時代で引用されたから自分は「日本~史」ではなく、「歴史学」を名乗るのだという権威主義など、表向きは「~からの自由」といいながら、所詮は新自由主義の申し子として、共同体での中でしか生きられない人々を高みからさげすんでいるだけ。といってもこれが評価されるのが現在の日本史学の立ち位置なのだろうhttp://shop.kodansha.jp/bc2_bc/search_view.jsp?b=2584670。本日は日本史研究会例会に参加http://wwwsoc.nii.ac.jp/cgi-bin/jhs/wiki/wiki.cgi?page=%CE%E3%B2%F1。遺跡保存としては残念な状況に進むようだが、史料の深い読み込みから見えてくる真実と、スリリングなやりとりは大変勉強になった。自身はタイミングがずれた発言をしてしまったが、やはり歴史学の進むべき方法はそこにしかないと実感される。