wsfpq577’s blog

日本中世史専攻、大学非常勤講師などで生活の糧を得ていますが(求職中)、ここでの発言は諸機関とは全く無関係です

木下光生『貧困と自己責任の近世日本史』

予想通り日曜夜は台風が最接近しバスは動かず、本日朝の便で千里山の講義に直行。拙い報告内容がどれだけ伝わったか定かではないが、新たな勉強をさせていただくことになった。学会そのものも初参加だったが、戦後歴史学の水脈を感じることができ、その点でも貴重な機会となった。お世話になった皆様方に御礼申し上げます。電車読書のほうは先週から読み始め、大変刺激的でことのほか早く読了することになった表題書http://www.jimbunshoin.co.jp/book/b288101.html。もっぱら持高で階層差を説明しがちな従来の近世史研究に対して、個別世帯の実態を記した希有な文書を手がかりに、貧困世帯の浮沈の複雑さ、救済をめぐる村落の対応に関して扶助と自己責任論理のせめぎ合い、貧困層を含む社会全体に通底する自己責任論理の内面化と、生活困窮者の救済はあくまで臨時的措置であるという観念が、近世から現在まで一貫して存在していたことを明らかにしたもの。貧困層が自らの消費欲に左右される支出を決して切り下げようとしなかったことを大前提とする実証手続き、南王子村の物乞いの評価については、もう少し詰めが必要な気はするのだが、全体的にはきわめて高い実証水準と、広い研究への目配りに基づいて貧困の重要な側面を浮き彫りにした研究。論旨も明快で、当方があれこれいうまでもなく、著者が意識しているように、各方面から高い評価を受けるとともに、国際的にも日本近世史学をアピールするものになると思われ、今後の展開が興味深い。比較中世史関係でもっとも困るのが貧民救済問題で、「タテマエ」ですらほとんど見られない日本中世史としては全くコメントできなくなってしまうのが常。やはり仏教の問題というより、日本社会の問題として考えることを、改めて突きつけられたようだ。選挙結果も事前の予想通りになってしまった。もはや谷底へと転げ落ちる社会を立て直す見通しはないのだろうか…。