wsfpq577’s blog

日本中世史専攻、大学非常勤講師などで生活の糧を得ていますが(求職中)、ここでの発言は諸機関とは全く無関係です

ジョー・グルディ&D.アーミテイジ『これが歴史だ!21世紀の歴史学宣言』

本日は千里山で講義・史料講読、2006年から通っているのだが、今年の…。気を取り直して電車読書の備忘。某学会の書籍展示で見かけ何となく衝動買いしたものhttp://www.tousuishobou.com/rekisizensho/4-88708-429-2.htm。『共産党宣言』をもじり、「短期という妖怪」がさまよっているという現状認識のもと、史学史を振り返り、ブローデルに代表される歴史研究者が長期持続に取り組んでいた時期は歴史学の学問的・社会的地位は高かったが、1968年以降は短期的過去という「ミクロな歴史」が隆盛すると共に、言語論的転回などにより、歴史家は長期的時間を未来と結びつけることから後退し、短期的な経済学者の主張が影響力をもつにいたった。しかし気候変動・世界的な統治・不平等の未来については、歴史学による長期的な視点による社会の未来の提示が必要であり、過去のデータの新たなかつ批判的な分析という歴史学の方法こそが不可欠で、「万国の歴史家諸君、団結せよ! 諸君には勝ち取るべき世界がある。遅すぎないうちに。」と締めくくられる。大きな物語としての歴史学の隆盛から、その反動としての小さな実証研究と、並行しての歴史学の社会的地位の凋落というのは、日本でも起こった現象で、この間の近代史の抹殺(日本軍の戦争を語ることが「反日」という言説がニュースでも一般化するようになった)によって、極限まで進行しているように思える。ただ同書によると欧米ではその揺り戻しが起きているようで、長期的方法・多様なデータの操作という歴史学の蓄積はビッグ・データの処理にも不可欠で有用性をもつことが高らかに主張される。史料講読はそれを専門とすることはなくてもデータの扱い方として、講義は長期的視座を養うことを、当方も意識しているのだが、なかなかうまくいかないもの。なお訳者(平田雅博・細川道久)あとがきによると、本書はイタリア語・ロシア語・スペイン語トルコ語・中国語・韓国語に翻訳(一部未刊行)とのこと。これも現在の日本の状況を示唆しているように思えるが、日本語で読めたのはありがたい。ただ本文・訳者あとがきまで188頁で、引用文献註が55頁というのはどうなのか。一部は日本語訳が併記されているが、大半は原著で、掲載することの意味は疑問。