wsfpq577’s blog

日本中世史専攻、大学非常勤講師などで生活の糧を得ていますが(求職中)、ここでの発言は諸機関とは全く無関係です

平井上総『兵農分離はあったのか』

本日は六甲台、クォーター制のため早ラス前。久しぶりに往復起きていたこともあって、表題書を読了。シリーズのうち人物関係は全く興味が湧かないが、社会論ぐらいは少し勉強しておこうと思い衝動買いしてしまったものhttp://www.heibonsha.co.jp/book/b308667.html兵農分離概念について、ア兵が農民から専門家へ、イ武士と百姓の土地所有形態の分離、ウ武士の居住地の変化、エ百姓の武器所持否定、オ武士と百姓の身分分離、という五点の定義をあげて再検証し、身分明確化を志向した以外にそれを目的とした政策は豊臣政権も、大名側もとっておらず、環境の変化によって兵農分離という状態が生じただけだと結論づけたもの。近世の農本主義儒学者の言説がことさら取り上げられるのはどうかとは思うが、取り上げられた史料の解釈はそれでいいのだろうとは思う。一部を除いて原文・読み下し・現代語訳が提示されていて、「処罰します」・「成敗して下さい」など命令がことごとく丁寧語で記されているのは違和感があるが…。とはいえ、著者がある程度是認している身分統制とともに、戦後歴史学で語られてきた領主制による再生産構造への関与と「小農自立」による否定という位置づけが全く無視されていることには唖然とするしかない。社会構成体とか変革主体とかいう用語が消えてしまうと、「環境の変化」といえば全て説明できることになってしまったのだろう。本当にそれで学問としての存在意義があるのかは疑問だが、そんなことを考える身には、今の研究状況に居場所はないと痛感させられることになった。