wsfpq577’s blog

日本中世史専攻、大学非常勤講師などで生活の糧を得ていますが(求職中)、ここでの発言は諸機関とは全く無関係です

神田千里『宣教師と「太平記」』

本日は講義と史料講読。朝は今シーズン最悪の花粉症だったのでどうなるかと思ったが、そちらのほうは問題なく何とか終える。電車読書のほうはタイトルに釣られ衝動買いしてしまった表題書を読了http://shinsho.shueisha.co.jp/kikan/0872-d/キリシタン版『太平記抜書』という出版物があり、神仏の奇瑞譚はかなり削除する一方で、因果関係として「天道」の用いられていること、宣教師書簡の中で神武起源が日本の歴史的時間として記されていることなど、初めて知ることも少なくなかった。そういう点で問題はないのだが、全体に大きな違和感が残ったのも事実。『太平記』を政治思想書として捉えておきながら、兵藤氏どころか若尾氏すら参考文献として載せられておらず、近世後期以降は文学的評価が低いとだけ紹介し、後期水戸学から皇国史観への展開についても全く無視されている。また源平交代史観の普及が論じられるが、紹介されている史料の大半は源平以後にいわゆる「武者の世」になったという以上のものとは評価できない。さらに歴史意識の証しとして狛江市玉泉寺「過去帳」で忌日が記されている人物が紹介されるが、畠山重忠平維盛の存在から『平家物語』の影響はかろうじて論証できるかも知れないが、足利尊氏楠木正成新田義貞らすらいないのに『太平記』の影響を語られても理解に苦しむところ。後半の主題と思われる戦国時代に「日本」が立ち上がってくるという見解についても、これまでも何人の論者が取り上げており間違いとは思わないが、本書の構成の中にすんなりはまっているようには思えなかった。全体にもう少し練り上げるべきではなかったのか…(妄言)。当方の姫路勤務体系に祝日休という概念がないため、今週も完全ルーティン。にもかかわらず締切原稿に全く手を付けることができないまま、別の報告が迫っている。三月にもう少しやれる時間があったはずなのだが…。