wsfpq577’s blog

日本中世史専攻、大学非常勤講師などで生活の糧を得ていますが(求職中)、ここでの発言は諸機関とは全く無関係です

リン・ハント著・長谷川貴彦訳『グローバル時代の歴史学』

昨日読了の電車読書の備忘。このごろ食指を引く新書・選書が見当たらないなか(某ベスト・セラーは機会を逸してしまった)、衝動買いしてしまったものhttps://www.iwanami.co.jp/book/b266352.html。現代歴史学の現状について、既存の四つのパラダイムであった、マルクス主義・近代化論・アナール学派アイデンティティの政治を批判してきた文化理論(ポスト構造主義)が失速し、グローバル・ヒストリーが「大きな物語」を独占しているとし、それに対して著者は「下からの(ボトムアップな)」グローバル・ヒストリーを提唱し、トップダウン型の理論構築と断片化した個別実証研究の「中間路線」とともに、「自己」と「社会」との関係の再検討が必要だとし、「ディープ・ヒストリー」と呼ばれる人間の心理学的次元からの歴史の巨視的な把握のため、心理学・神経科学・認知科学などを含む周辺諸科学との対話を進めるべきだとする。最後に近世のグローバル化からフランス革命までの歴史の試論が示されているように、著者はアメリカで活躍するフランス革命の研究者だが、日本の歴史学も基本的には同じような展開をしてきたことが確認できる。マルクス主義・近代化論をあわせた戦後歴史学批判として、90年代にポスト構造主義が隆盛を極め、近年はそれの揺り戻し段階。当ブログでトップダウン型を「勝ち組グローバル・ストーリー」、ボトムアップ型を「グローカル・ヒストリー」とし、後者を支持したことがあるが、実証を基礎とする歴史学は当分はその途を歩むのが適切だと考える。なお訳者あとがきによると著者の「神経科学的転回」については批判が寄せられているようだが、著者の主張そのものがよく理解できなかったためコメントは控える。またブックカバーには様々な立方体とそれに数字が付せられているのだが、原著にあったものなのか、またその意味するところかは、訳者あとがきに説明がなく不明。*追記:「グローカル」とは史料の拠って立つ位置を全体社会のなかで見通すという意味で、中世段階での全体は必ずしも「地球」「世界」を意味するものではない。