wsfpq577’s blog

日本中世史専攻、大学非常勤講師などで生活の糧を得ていますが(求職中)、ここでの発言は諸機関とは全く無関係です

屋島

日・月は四国行き。秋の報告の関係で、阿南地域(海部・宍喰など)を実見したいと考えていたところ、たまたま身近な古代史グループの方々が予定を立てておられるのを聞き、混ぜてもらった次第。10:00徳島着のバスに乗り、レンタカーを借り文化の森へ。一行が博物館をみている間に、先日入手し忘れていた論文を図書館でコピー。それから高速で讃岐に向かい、途中のSAで昼食の後、屋島へ。岡山に四年も住んでいたにもかかわらず(「たった四年」とも言われたが…)、初めて登り、いろいろ興味深かった。次いで播磨に石棺を出しているという讃岐国分寺近くの鷲の山で採石場と付近で発見された石棺を見学。残された写真によると2009年春に国分寺には訪れているが、こちらは初めてで地形も含めて堪能する。夕方から雲行きが怪しくなってきたが、本降りになる前に徳島眉山の宿に到着。久しぶりの大浴場とビールを満喫し、料理に舌鼓を打ち、部屋で学問的議論その他。しかしテレビが伝える台風情報は、数日前の中国地方を抜ける予報からどんどん西寄りになり直撃コースに。ただこの段階では9:00ごろに徳島を抜ける予報でそこにわずかばかりの望みを託す。しかし窓はたたきつける雨が止まず不穏な夜に。結局またもや速度を下げ、朝5:00でまだ足摺岬付近という絶望的な状況で、17:00徳島発予約の高速バスも欠便連絡。レンタカーの本州乗り捨ても拒否されもう一泊するしかないかとも思ったが、何とか9:30の三ノ宮行きバスが運行されると言うことでそれに乗り昼過ぎに帰宅。まだ当初の予約便の払い戻し手続きにたどり着いていないのだが、とりあえず最悪の状況だけは避けられた。阿南は別に企画するしかないようだ。なお古代山城屋島城は城門の石垣が発掘・復元されておりhttp://www.takamatsu-webmuseum.jp/maizou-news/3%E6%9C%8819%E6%97%A5%EF%BC%88%E5%9C%9F%EF%BC%89%E3%81%8B%E3%82%89%E3%80%8C%E5%B1%8B%E5%B6%8B%E5%9F%8E%E8%B7%A1%E3%80%8D%E5%9F%8E%E9%96%80%E3%82%92%E4%B8%80%E8%88%AC%E5%85%AC%E9%96%8B%EF%BC%814/、眺望もなかなかの絶景。写真左は城門跡から高松港(中世は野原)を眺めたものイメージ 1。写真右は屋島寺梵鐘で貞応二年の銘があるということだが、鋳造した鋳物師も含めてちゃんと判読できなかった。イメージ 2