wsfpq577’s blog

日本中世史専攻、大学非常勤講師などで生活の糧を得ていますが(求職中)、ここでの発言は諸機関とは全く無関係です

角岡伸彦『ふしぎな部落問題』

本日は上郡で近世文書のコピー製本めくり。相変わらず生活リズムが作れないまま個室で眠気と戦いながらも、何とか目録でチェックした文書群については粗見通しをつけることができた。次は翻刻・分析作業が待っているが、明日も姫路。JRだけで乗り継ぎ時間を含めると1h50mほどの道のりのため、うとうとした時間を挟みながら表題書を読了。当初はスルーしていたのだが、「部落差別解消法案」(略称)がいろいろ話題になったこと、表紙の「差別をなくす過程で、部落を残すのか、それともなくすのかという仮題を、私たちは整理できていないのである」に惹かれたこと。某Twitterで肯定的捉えられているように誤読したことなどにより、衝動買いしてしまったものhttp://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480068965/。全4章立てのうち、2章以後の橋下徹氏の出自を報道するルポライターの取材姿勢と内容の問題点、加古川食肉センターを描いた映画公開をめぐる関係者の意識と行動、箕面市北芝をめぐる同対法施行から現代までの歩みについては、丁寧な取材の様子がうかがえ色々と教えられることが多かった。ただし1章の被差別部落150年史は、解放令直後の民衆によるひどい事件を強調し、水平社・部落解放同盟(以下、解同と略称)・部落地名総鑑からいきなり2000年代のネット上の差別に飛んでしまっている。そのため解同と全国部落解放連合(以下、解連)の分裂については全く無視され、Twitterで得たところによると北芝にも二つの組織があったようだが、それについても触れられていない。そもそも解連の名前すらなく、参考文献も解同側だけ。唯一の叙述は橋下氏の施策が共産党(解連と一体とみなされている)と同じと論難するところだけで、同和事業批判以外では無関係と思われるジャーナリストにまで共産党系と強調し、かなりの敵意を持っているようだ。それは著者の自由なのだが、表紙に掲げた問こそが解同と解連の理論的対立点だったことを無視するのはいかがなものか。当方は生活改善が進み、新住民の大量流入によって、かつての地域内差別という性格が失われた1990年代に、「歴史」にすべきだったと考えるもので、解連の立場に基本的に近い。著者による北芝の新しい模索は興味深いが、多様な「よそ者」が流入した新しいコミュニティーのあり方で、「部落」アイデンティティーを強調することには違和感がある。もちろん90年代にも一般的な差別語として機能していたことは私立中学校非常勤経験で実感しているが、いわゆる「在日認定」と同様で個別具体性はすでに失われていた。戦争と同じく「歴史的にあったくりかえされてはならない事実」として定着すべきだったのだが、ネットの広がりによって全くの逆転現象が起きてしまった。あの頃に違う道を選択することはできたのだろうか…。昨日もより駅始発の地下鉄が昨年春のダイヤ改正で廃止され新金岡まで延伸されていることに今更ながら気づいた。都構想否決の懲罰なのだろうが、堺市民はそれで維新支持になってしまったのだろうか。大阪選挙区はよくわからない。