wsfpq577’s blog

日本中世史専攻、大学非常勤講師などで生活の糧を得ていますが(求職中)、ここでの発言は諸機関とは全く無関係です

藤野裕子『民衆暴力』

本日も連勤で姫路(木曜日は代休)。土日出勤は研究会など行事があるときだが、コロナ以降は夜の飲み会がなくなり、本日もおとなしく帰宅。そんなわけで遅ればせながら表題書を読了。18Cまで非暴力が貫徹されていた百姓一揆が、19世紀の世直し一揆では民衆の解放願望が暴力を発露させることがあったという事態を前提に、近代化政策への反発が官憲にも被差別民にも向けられた新政反対一揆、指導者が近代国家による暴力独占を打ち破る困難さを認識しながら負債からの解放願望によって暴力が発露した秩父事件、共同体を基盤とするのではなく析出された都市労働者による警察を敵視する「噴火熱」が日露戦争講和反対集会をきっかけに発露した日比谷焼き討ち事件、それを受けて国家が組織した自警団的団体が「不逞鮮人」の取締というお墨付きを得たことで潜在的な殺人願望が解放された関東大震災下の朝鮮人虐殺、というように国家による暴力の独占度合いという政治・社会の権力関係と、民衆内部の権力関係および通俗道徳意識の発露の仕方によって、それぞれの事例の背景を読み解いたもの。非常に明快で講義にもいろいろ勉強になった。とりわけ最後の朝鮮人虐殺は、近年のネット社会の犬笛の意味を理解する上でも重要。梶田は白旗、前首相はフェイクで突っ走ることにしたようで(過去になぞらえれば「近衛新体制運動」)、当方が糾弾対象になるのも時間の問題・・・。

民衆暴力―一揆・暴動・虐殺の日本近代|新書|中央公論新社