wsfpq577’s blog

日本中世史専攻、大学非常勤講師などで生活の糧を得ていますが(求職中)、ここでの発言は諸機関とは全く無関係です

松沢裕作『自由民権運動』

今週はルーティンで水・金は姫路。車中爆睡のため上着を着込んでいるが、行き帰りの徒歩はかなりつらい。おまけに本日は予報に反して朝から雨で、コンビニで大きな傘を購入する羽目に。城内を通る近道も来週火曜から工事で封鎖されるようで、来週からは裏技に頼るべきか。そんな中で電車読書のほうは、今週月曜日の地域史で太融寺に触れることになっていたという事情から衝動買いしていたものhttps://www.iwanami.co.jp/hensyu/sin/。運動を近世・近代移行期の「ポスト身分制社会」において、「戊辰戦後デモクラシー」下に板垣退助河野広中に代表される勝者が、自分たちで新しい社会を創り出そうとした運動として捉え、民撰議院設立建白書に象徴される「わりこむ運動」が、政府が国会開設という舞台を先回りして設定したことで行き場を失い、松方デフレで落ちこぼれた民衆の「参加=解放」型幻想をかきたることで暴力化しながら終焉へといたった状況が描かれる。通史としては非常に流れが分かりやすく、運動に携わった人々の考えていたこともそんなものだったのだろうとは思う(板垣が最初から最後まで「軍事英雄」として立ち回っていたことは初めて知った)。勝ち組の「わりこむ運動」というのは第二次大戦後に伊藤隆がなぜ共産党員だったという疑問も明らかにしてくれ、いろいろと汎用性の高い説明だとは思う。とはいえ中世史における「専修念仏弾圧説」批判ともつながる違和感がやはり残る。たしかに人々は状況に応じて行動しているに過ぎないといえばそれまでなのだが、枠組みを作った権力に対して運動をペスミスティックに捉え、理念を横に置いてしまうのもどうなのかと思う。とりわけ運動に関する史料が先人の大変な努力によってようやく世に出たことを考えると、抵抗感を感じざるを得ない。なお著者は戊辰戦後・日露戦後・第二次大戦後を「戦後デモクラシー」として一括化するが、最後が「敗戦後」であったという意味が意図的に外されているのもどうか。そのことに意味が失われてはならないはずなのだが、一部ではすでに敗因をめぐる議論がされている始末。当方としては人々が破滅よりよりよい未来を願っていると信じたいところ。
写真は通行止め予定箇所イメージ 1