wsfpq577’s blog

日本中世史専攻、大学非常勤講師などで生活の糧を得ていますが(求職中)、ここでの発言は諸機関とは全く無関係です

和田晴吾『古墳と埴輪』

今週は火・金と淡路調査。公費で動くのは恐らく最後の機会となったが、これで確実な荘園鎮守はコンプリートできた。ただ来週はまたまた引きこもりになるので、読みさしの表題書を片付けておく。教養講義で1回を「古墳と天皇陵」としており、前職で薄い面識もあったため、購入していたもの。内容は盛りだくさんで、古墳の成立からはじまって、埋葬施設としての棺・槨・室についてその構造から形魂を厳重に密封するものであったこと、船に乗った死者が鳥に誘われながら他界へ赴くという「天鳥船信仰」の存在、埴輪の配列がそれを終えた魂が墳丘をのぼり頂上にある屋敷に居住して海の幸・山の幸が貢納されたことを示すこと、そうした古墳づくりが王権の結束を強めるとともに、古墳の儀礼の執行を認めた各地の首長を編制するものだったこと、5世紀後葉にはそうした構造が変質し、大王が群集墳を営むひとびとを直接的に支配するものとなり、古墳の構造と儀礼も変化すること、これらの儀礼の源泉として中国における変遷をたどった上で、弥生以後に複数の地域を源流とする儀礼が伝搬し、それを融合しながら独自の祭祀体系をつくりあげていったが、後期後葉になると仏教的他界観が受容され、終焉を迎えたという。新書媒体に大量の情報が詰め込まれており、特に予備知識の全くない中国の儀礼部分は理解しにくかったが、古墳の本質を示したものとして大変ためになるもので、図版も講義資料で利用させてもらう。著者は1948年生まれで、この20年来の古墳に関する概説の中心を担っている方々の一回り上の世代にあたる。ただ参考文献にはそうした名前は一切みえず(123頁「古墳づくりは決して弱者を救う公共事業でも救済事業でもなかった」は、そのうちの何人かへの批判だろうが)、中国・朝鮮関係の最新成果以外はほぼ著者より上の世代の研究者。最後に2頁にわたり著者の研究活動を通じた謝辞が記され、まさにそれらに向き合って集大成を意識した著作。

古墳と埴輪 - 岩波書店