wsfpq577’s blog

日本中世史専攻、大学非常勤講師などで生活の糧を得ていますが(求職中)、ここでの発言は諸機関とは全く無関係です

某ドラマの大内裏焼亡

夕食時に録画していた表題のシーンを観てしまい、ありえない設定に驚き。その後に「もとTwitter」で下記のような記事をみかける。

内裏焼亡、一条天皇は彰子と共に徒歩で脱出行を行う。 「此の間、人、候ぜず」(御堂関白記) 「此の間、路に参会の上下の人無し」(小右記) まさに2人だけの脱出行だった。

改めて史料を再確認すると、恣意的な抜書であることが判明(なお『小右記』は写本で一部の意味がとりにくいため、書き下しに微細な間違いはあるかもしれない)。

主上、飛香舎におはす、中宮と御出でたまう。この間、人、候ぜずとうんぬん。六位二両候ずとうんぬん」(『御堂関白記』寛弘2年11月15日条)。

「左府云はく、『焼亡(時脱ヵ)、蔵人三人祗候す、二人は仰せにより、御物を運び出させしむ。今一人は御共に候ず。また中宮の侍人は二人。主上・后宮、歩より中院におはす。この間、路に参会の上下の人なしとうんぬん』と。極めて悲しきことなり」(『小右記』11月16日条)。

前者(道長の日記)で道長が嘘を書いていなければ、天皇の側に蔵人が一人おり、道長の日記の「六位二両」が、後者の実資が道長(左府)から聞いた「侍人は二人」と対応するため、中宮の側に侍人が二人いたことは確実。人が少なかったことはたしかだが、「2人だけの脱出行」ではない(貴族の日記で、一般的に侍身分より下の凡下(雑人)の行動が記されないことも注意)。なおこの前後の記録で、月食が原因で対応が遅れたとするものもみえず。