wsfpq577’s blog

日本中世史専攻、大学非常勤講師などで生活の糧を得ていますが(求職中)、ここでの発言は諸機関とは全く無関係です

飯田真紀『広東語の世界』

本日はお座敷のため、久しぶりにお出かけ。90分で時代を行きつ戻りつになり、最初に全体構成を示しておいた方がよかったと反省。やや早めに着いてある程度読み進めたこと、週の後半に遠出の予定があることから、残りも処理して備忘を残しておく。もともと華南地方の主要言語で、英植民地として独自の歴史をたどることになった香港の言語(植民地当局が教育・文化に不介入だったため、民衆レベルでは英語は普及せず、メディアは広東語、この間の強権的支配が進む中でも、警察幹部の発表も広東語が使用されているという)、またアメリカ移民が広州をルーツにしているため、アメリカ映画に登場する中国語は「グーニーズ」ぐらいまでほぼ広東語など国際的広がりを有するという。文字は漢字を使用しているものの(第二次大戦後は北京の簡体字とは相違するが)、読み・声調などは規則性は有するが全く異なるもので、香港では話す・聞く・読む・書く全てが広東語で完結しており、英語とオランダ語・ドイツ語ほどの差があるという。ただし広東語の書き言葉と話し言葉は異なっており、書き言葉の標準音が存在していないため、文字入力は部首の組み合わせて漢字を引き出す必要があるとのこと。そのためLINEなどのやりとりは独特の英語入力のほうが楽だという。そもそも大枠で10大方言とされる中国語諸語は、それぞれ意思疎通が困難なほどかけ離れており、方言と呼ぶのは不適切だとされる。それで古くから統一政体を保ってきた文字支配のすごさを再認識する一方で、各地における北京語の教育の強制、台湾における閩語の復権など、言語をめぐる政治も示されており、いろいろ勉強になった。なお著者は日本語の「伊太利亜」というたとえをするが、「伊太利亜」ももともと宣教師がつくった漢語ではないか。

広東語の世界 香港、華南が育んだグローバル中国語 -飯田真紀 著|新書|中央公論新社