wsfpq577’s blog

日本中世史専攻、大学非常勤講師などで生活の糧を得ていますが(求職中)、ここでの発言は諸機関とは全く無関係です

射水市新湊博物館「海が支えた放生津幕府‐明応の政変と足利義材‐」

富山駅10:45発のバスで820円のところまで行き(こちらは飛越バスのようなことはない)、少し歩いて船着き場から無料渡船で対岸に渡り、放生津の町並みと寺社をさまよう。こちらは過去に訪れたことがあるが、かなり記憶が薄れていた。放生津八幡の裏手も海だと思い込んでいたが、道路と漁港があった。途中の時計との相談で予定より1時間早いコミュニティ・バスに乗ることができ、表題の展覧会へ。常展の放生津の沿革、射水市出身で和算・絵図作成に活躍した石黒信由関係資料(重文に指定されているらしく、さまざまな縮尺の絵図が並び、近世越中の様相、放生津周辺の状況も知ることができる)も充実。特展は明応年中に海上から引き上げ神保が寄進とあるのを、後醍醐期との貼り紙がある由緒書のある法華経曼荼羅、明治の郷土史家が作成した放生津関連の中世文書の影写、紀州興国寺なみとするよう越中興国寺に宛てた義材の文書など、いろいろ興味深いところ。そうこうしているうちに学芸員氏(報告を拝聴したことはあるが面識はない)の展示解説がはじまり当初滞在予定の1時間をのばして聞き入る。放生津八幡宮の築山行事で昨年出されたという義材と神保長誠の像の解説もありがたい。その後は道の駅で白えびかき揚げそばを食べ、コミュニティ・バス、第三セクター(駅からJR関連が撤去され寂しい限り)を乗り継ぎ、金沢からの帰路で下書きを執筆。車内は一日目に戻りインバウンド客だらけ。

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堀岡から対岸の越の潟に向かう船上。右手に車用の大橋(越の潟にエレベーターがあり徒歩も可能らしい)。

放生津城跡。小学校グランドだが、遺構面は隣の内川よりも低く、発掘は困難と展示解説。