wsfpq577’s blog

日本中世史専攻、大学非常勤講師などで生活の糧を得ていますが(求職中)、ここでの発言は諸機関とは全く無関係です

神岡

まず目についたのが狭い街路に家が密集した様相。飲み屋らしきものも多く、鉱山で栄えたことがよくわかる(スーパー・カミオカンデは廃坑跡と思っていたが、現在も併存しているらしい)。もっとも目当は中世で参考書のコピー中世武家庭園と戦国の領域支配 江馬氏城館跡|新泉社をもとに歩き回る。ただ店が密集している地域を過ぎてからエネルギーが切れ、何とか道の駅で定食にありつく。そこはかなり混んでいたが近所の江馬氏館跡を訪れたのは当方のみ。おかげで説明していただいただけでなく、植栽として栽培している柿までいただく。あまり観光客は多くない、冬は雪で閉めるなどのお話をしていると、神岡についてから暑いほどだった天候が急変しにわかに嵐に。少し待避したが雨は降り止まず山城は断念し町歩きに終始(おかげで昨日の資料も湿らしてしまった)。想像以上に地形は高低差があり、また近年の道路建設などで大きく変わっているところもあるよう。あちちに公共の湧水があり、空いたペットボトルにいただいておく。もっとも富山方面に抜けるバスは本数が少なくバスセンターで40分待ち。しかもそこまで歩かなくても停留所があった。途中道路工事で5分待ちとアナウンスがあった段階で、電車の時刻まで11分しかなく焦ったが何とか間に合う。なお濃飛バスは路線バスとは思えないほどの安さだったが、駅を見間違えてJR西日本に310円も献金してしまった。本日の宿はサウナがあるのでこれから飲み。

洞玄寺境内にある三井が明治に建てた石塔。右手に東町城(復元天守・高原郷土館)がみえ、崖下が町場。

にわかに天候が悪化した江馬氏館跡復元庭園。調査前は水田で大石のいくつかは地表に出ていたとのこと。