wsfpq577’s blog

日本中世史専攻、大学非常勤講師などで生活の糧を得ていますが(求職中)、ここでの発言は諸機関とは全く無関係です

越前紀行その1(一乗谷)

5日には新年度第1回目の講義もあり、収入も大幅減となったのだが、蓄えは目減りするだけで、今年度に予定されている北陸新幹線により関西からの交通費も大幅アップになる可能性があり、6日・7日と越前に行ってきたので、その備忘。

6日7:15高槻発(阪急神戸線からは梅田乗替よりも割安になる)の特急で福井で越美北線に乗車、英語話者など旅行者が多数を占めていたが予想と異なり一乗谷下車はわずか。まず福井県一乗谷朝倉遺跡博物館へ。

福井県立一乗谷朝倉氏遺跡博物館 朝倉氏の戦国城下町一乗谷の全体像や歴史的価値を楽しみながら学べます

発掘調査成果を前面に押し出した常設展示で、さまざまな職人それぞれの様相を示し、ジオラマでもそれが確認できる。京都のように重層することなく、朝倉氏滅亡によって廃絶してしまったという事情があるのだろうが圧巻で、ガイドブックも販売。また館内には朝倉館の原寸再現が設けられこちらも興味深い。別料金での着付け体験をする中年男性、団体客もありそれなりの賑わい。また特別展「東山文化と朝倉文化」では唐絵・陶磁器などが(それ用の解説シートが配布)、向かいの別館には図書とともに、石造物が展示。

撮影OKの朝倉館(庭をはさんで、向かいの座敷には牧谿の軸の複製が飾られる)

続いて西山光照寺跡、阿那賀春日神社、下城戸へ。そこで登城口を見つけてしまい、朝出かける際に降っていた雨は持ちそうだったので、山道にむかう。尾根筋なので急峻ではなかったが、予想以上の距離があり大汗をかき下着のシャツを脱ぐ羽目に。タオルすら持ってこずという準備不足での軽挙に反省(昼食だけは用意してあった)。もっとも高い二の丸跡も単なる狭い平坦地で、それより下に広い空間(千畳敷)があるのは、室町期の赤松の城的な印象。

「宿直跡」から福井平野を眺望

下山して武家屋敷・町家などを歩く。M!のサマーセミナーで訪れてから35年、当時はまた調査が続いていた最中だったのだろうが、いまは全体が遺跡公園となり、一部は復元町家に。ちょうど桜の最後ということもあり、福井ナンバーの車がほとんどだったが、こちらもそこそこの賑わい。博物館で「一乗谷城攻略マップ」・「一乗谷ハンドブック」が配付されているが、後者はもうちょっとちゃんとした地図が欲しかったところ。上城戸跡・安養寺跡までは行けたが、バスの関係(15:40の次は18:00)で盛源寺は断念。登城した関係で駆け足になってしまったのは残念。バスは一乗谷内で人をひろい、博物館前で英語話者の団体客を乗せたが、以後は福井駅まで乗降者なしに驚き。

湯殿跡庭園から朝倉館跡を臨む