wsfpq577’s blog

日本中世史専攻、大学非常勤講師などで生活の糧を得ていますが(求職中)、ここでの発言は諸機関とは全く無関係です

岡﨑勝世『科学VSキリスト教』

先週は月曜の試験以来引きこもりで、採点と今週末の講演の準備に充てる。後者は当初思いもよらなかった方向に話しが転がったが、どう見ても一般向けと言うより研究報告で、何とかスライドでごまかすしかないだろう。本日は3種類目の試験で、342枚の答案を持ち帰ることになった。1問10点の論述問題にしたためまず採点基準を確定させなければならず、かなりの作業になりそうだ(本日のアクセスが多いのもそのためか)。その大学では春のみだが科学史の若手研究者と一緒になりいろいろ勉強させてもらっている。当方は先週末公募書類が返却されたため確定したものの、その方はどこかに決まる可能性もあるが、某所で紹介されていたのとそれが念頭にあって購入して本日読了したものhttp://bookclub.kodansha.co.jp/bc2_bc/search_view.jsp?b=2882418デカルトキリスト教的「閉ざされた宇宙コスモス」=「神ー自然ー人間」を破壊し、「無限の宇宙」へ変革したこと、さらにニュートンになると聖書の天地創造説を認めながらそれを科学的に解釈するようになること、さらに地球史的時間が追及されるとともに、リンネによって人間も自然界の種の一つと認識されること、それが歴史学にも影響を与え、18世紀末に聖書に基づく普遍史から啓蒙主義的世界史に変革されることが、同一人物の著作の変遷を通じて明らかにされる。今さらながらキリスト教的世界観が19世紀前まで人々の思考回路に深く根ざしていたことが実感されるとともに、それとの対決によって初めて成立した近代科学の原典を再確認することができた。そうした近代思想を出来合いのものとして受容した日本では、ここ数ヶ月それを否定する政治家の発言が目立っているが、学問がそれに抗しきれるのかどうか正念場になっている。