wsfpq577’s blog

日本中世史専攻、大学非常勤講師などで生活の糧を得ていますが(求職中)、ここでの発言は諸機関とは全く無関係です

溝口紀子『性と柔』

正月休みはあっという間に終わり、本日から講義再開。大学入学祝いにもらった懐中時計が止まっているのに気づき、携帯を出していると講義中に広告メールが届き焦る。サイレントマナーモードにしているため音は鳴らないが、調子が狂い講義の時間配分を失敗。ガラスが外れソロテープで貼っていた時計も買い換えなければならず、新年早々ろくな事がないが電車読書はすすみ、昨年ストックがない時期にたまたま購入したものを読了http://www.kawade.co.jp/np/isbn/9784309624648/。著者はバルセロナ五輪銀メダリストで、フランス代表チームコーチの経験を有し、文末にはスポーツ社会学者と記されている。もっともWiki情報とあとがきを総合すると、現役引退後すぐに教育学修士の肩書きで大学助手となり、柔道史を本格的に構築するために2009年から東大博士課程で社会学理論を学んだようだ。同じ文章が何度も繰り返され、社会学の専門用語が説明なく直截的に適用されるなど、選書としてどうかと思うが(編集者は何もしなくなっているのか)、内容は色々勉強になった。戦前日本の柔術界には、半官半民の復古運動的な性格をもち投げ技・固め技など諸武道の集合体であった大日本武徳会と、教育学を学んだ嘉納治五郎が創設した立ち技中心に柔術を統合して新しい柔道をめざした講道館があり、内務省機構と結びついた前者が主流で、後者は単なる理論派の町道場に過ぎなかった。女性については民間の性的な見世物として女柔術家が存在しているなか、武徳会は黙認し「婦人柔道」として黒帯が与えられていたのに対し、嘉納は保護的観点から「女性柔道」は形のみで試合を認めず、黒帯に白線をつけて区別した。また欧米ではむしろ「女性の護身術」との認識がありイギリスで参政権獲得運動を担った女性柔術家もあった。ところが武徳会は戦時体制と強く結びついていたためGHQから解散を命じられ、主要な担い手がパージされた結果、講道館柔道があたかも日本柔道の本流と認識されるようになった。その一方で武徳会関係者の中には海外で普及活動を担った人々もあり、地域の伝統的格闘技と融合してハイブリットな柔道が生まれたという。それに対して講道館柔道は嘉納の作った型(それ自体も「伝統」ではなく構築物なのだが)を重視したため、柔道の変化にも立ち後れた「男のムラ社会」が形成されるとともに、女性への柔道の普及も遅れた。さらにオリンピック競技化したことで勝利至上主義が徹底されさまざまなゆがみが生まれ、2013年1月の女子強化指定選手のパワハラ告発でその体質が明るみに出たという。戦前のよりましな組織がかえって自己変革することなく害悪になることは他にもあるが、柔道もその典型のようだ。なお著者が実体験した柔道界の現実については、表だった事件以外には余り触れられておらず、書けないことも多数あるように感じた。ブログに思わぬ時間を費やしてしまう。完成しなかった原稿・何も考えずに引き受けたお座敷仕事二件・採点と2月半ばまでやることは山積みなのだが・・・。